日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

HARUKI the Individualist

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 おとつい金曜日、村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発売された。渋谷区代官山の蔦屋書店では発売初日の深夜0時に新作を販売するイベントが行われたり*1、すでに予約だけで50万部超えとか*2、ネットで見る限りなかなかのお祭り騒ぎのようだ。もう早足の読書評さえ出ている。
 ラノベを彷彿とさせるタイトルは相変わらずの、と敢えて言ってしまうが、相変わらずの商売上手である。このタイトルに引きつけられて、村上春樹を読んだことがない若い本好きも興味を持ったのではないだろうか。その程度に新しい読者を想定した作品作りをしているのだ村上春樹は、そういう意味での「商売上手」である。
 今の10代20代の本好きに、村上春樹はどんな風にを見えているだろう。彼らが読書に親しんだ頃にはもう、村上春樹はメジャー作家のひとりだったろうし、ノーベル文学賞までゲットしようという大権威に見えるだろう。しかしわたしのような、80年代初頭の高校生時代、三つ上の先輩から「羊をめぐる冒険」を教えられたわたしのような人間にとって、村上春樹は今も、時流に合わないジャズアルバムを買い集めている頑固な個人主義者、というイメージが色褪せない。
 就職を拒んでジャズ喫茶を開き、どんな組織にも属さず、作家になってからも「文壇」に身を置かず、徹底して個人的な場所から文章を書き続けてきた村上春樹のような人間を、わたしはそれまで知らなかった。
 彼の個人主義がどれぐらい徹底しているか、エッセイ集「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」に収められている「文学全集っていったい何なんだろう」にその片鱗が記されている。
村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)

 昭和文学全集を出版するにあたり作品を掲載させてほしい、という依頼を受けた村上は、その作品(デビュー二作目の「1973年のピンボール」だったらしい)は全集に相応しくないので別の作品に差し替えてほしいと希望を出す。相手の編集者は「話は既に進行しているし、長さからいってもあの作品が妥当なので」というようなことを言う。それなら全集から外してくださいと申し出ると、実はもうパンフレットに『谷崎潤一郎から村上春樹まで』と刷ってある、今更変えられないんですと告げられる。ようするに、作者に確認ひとつとらないで掲載の話が進んでいた訳である。あれこれと思い彼はこう書く。「僕は決して偏屈狭量な人間ではないーと思っているーが、かりにも腕一本で飯を食っている人間だから、長距離鉄道貨物みたいな扱い方はされたくない。『パンフレットのことは、僕にはわからない。もし収録作品が差し替えられないなら、この話はお断りしたい』と言って電話を切った」。その後にも村上の元には翩翻するよう何度も連絡があり、当の編集者の元部下だったという別の出版社の編集者、たぶん村上春樹周辺の編集者なのだろう、そんな筋からも「ここはひとつ折れてはもらえまいか(=掲載を承諾してもらえないか)」と電話がある。それでも村上は理由を説明して断る。そしてついに文壇の大御所であり、村上の作家デビューを後押ししたともいえる作家の吉行淳之介から「ここはひとつ折れてはもらえまいか」というようなメッセージが届けられる。「実務サイドで問題の筋を煮詰めることなく、裏ルートで話をまわしてくるやり方は納得できなかった。だから『この問題には関わるまい』と決めて、あとは知らん顔をしていた。おかげで僕はただでさえ少ない人間関係のいくつかを、こじらせてしまうことになった」
 このエッセイの最後にはこう書かれている。

 ずっとあとになって、この全集を企画担当された方は(たぶん僕が電話で話した相手だと思う)、全集刊行途中で入水自殺されたと聞いた。刊行時の心労のためらしいと聞いている。もちろん人が死を選ぶ本当の理由なんて誰にもわからないが、その心労の何パーセントかは僕の作ったものかもしれない。そうだとしたら、本当に申し訳なかったと思っている。でももし今ここでそれに似た自体がもう一度起こったら、やはり僕はまた同じことをするだろう。
 ものを書く、ゼロから何かを生み出す、というのは所詮切った張ったの世界である。みんなににこにこといい顔をすることなんてできないし、心ならずも血が流れることだってある。その責は僕がきっちりと両肩に負って生きて行くしかない。

 あなたが同じ立場だったら、どうしただろう。わたしが村上春樹の立場だったらもう簡単に折れちゃって、掲載を許してるんじゃないだろうか。そういう対処をすることが、この世間での処世の一つと理解しているから。そしてもしわたしがこの編集者だったとしたら、自殺もせずおめおめと生きていることだろう。それもまた処世の結果だと時に悔やみながら。
 わたしのようなぼんやりとした村上春樹ファンから見ると、マスコミやネットに流れる、村上春樹への風当たりの強さに時に驚かされることがある。エルサレム賞の受賞スピーチ「卵と壁」に対する田中康夫の発言など、言いがかりにしか思えない(田中は同じ立場になった時、ちゃんとスピーチ出来るのだろうか)。また村上春樹村上春樹で、先の文学全集のようなエピソードを作品として公にしてしまう。入水自殺した編集者の身内がこのエッセイを読んだら、どんな気分になるだろうか、彼のいう論旨はともかくとして。このエッセイを発表したことで、わざわざ世間を狭めているとさえいえるだろう。名物編集者だった安原顕が村上春樹の生原稿を古本屋に売っていたことを、安原の死後に文藝春秋に発表した時もそうだった。「仮に事実がそうであれ、反論できない死者に鞭打つとは何事か」といった発言もあった。
 けれども、である。個々の作品の良し悪しを措いて、わたしが村上春樹に一定の、変わらない信頼を抱いているのは、その身勝手とも言われかねない徹底した「個人主義」だ。そういう覚悟から発せられる言葉=態度に、読者として、ぼんやりとしたファンとして、どう応えたらよいものやら……

*1:そのゲストに招かれているのが、村上春樹好きのお笑い芸人とかではなく批評家の福田和也というところが、人選を誤っていないのに何故か哀しい。氏の「日本人の目玉」「日本の家郷」なんかを愉しく読んだわたしとしては。

*2:土曜日に北見のコーチャンフォーに行ったらなんと! 品切れだったよ!