今日もどこかで「物語」は生まれる
最初に
これは今年七月時点での感想に基づいて記されている。とある雑誌のエッセイ賞に投稿するため書いたものだ。今年、自分がどのようにして競走馬の世界に足を踏み入れたか、そのささやかなメモワールである。
この小文を書いてから幾月かを経て、ウマ娘に対しても競馬に対しても、この頃に比べれば考えも変わってきた。ウマ娘から競馬に目覚めた人間のサンプルとして、公表してみようと思う。
ちなみにソダシはこの後、札幌記念GⅡを5着、アイルランド府中牝馬GⅡを2着、マイルチャンピオンシップGⅠを3着という成績で今年のレースを終えた。札幌競馬場、そして阪神競馬場でソダシの姿を見られたことは、本当に素晴らしい体験だった。
よろしければご一読いただければと思う。最後に私が好きな作家である村上春樹の文章を引用する。
弁解するつもりはない。少くともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。つけ加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。
今日もどこかで「物語」は生まれる
「三年は頑張るように」と言われて紹介された再就職先に、ほとんど感情任せで退職届を出したのは、勤続二年二ヶ月目の六月だった。夜勤明けの疲れた体をソファーに横たえて考えたのは、コロナ下の介護職という仕事柄叶わなかった旅行である。有給休暇の消化で、もう職場には行かなくてもいい。コロナの感染者数も、その頃はまだ落ち着いていた。
スマホを眺めていると、浦河町にある渡辺牧場が、牧場見学を再開すると発表していた。急いで連絡をとり、生まれてはじめての牧場見学の旅が決まった。もちろん、ナイスネイチャに会うためだ。
ナイスネイチャ。生涯成績四一戦三勝。G1レース未勝利にも関わらず、JRA主催の『日本の名馬一〇〇』に選ばれた、愛すべきブロンズ・コレクター。そして二〇二二年六月現在、最年長のJRA重賞勝ち馬。
競馬とは程遠い人生を歩んできた。
ナイスネイチャはおろか、シンボリルドルフもナリタブライアンも、ディープインパクトさえ見ていない。子どもの頃にハイセイコーが引退して、その人気からレコードが出たことを、うっすらと記憶している程度だ。
おおよそ競馬から縁遠く、それで何の過不足なく五十過ぎまで生きていた私を競馬に引きずり込んだのは、間違いなく「アレ」だ。
七月最初の水曜日。薄曇りの空の下、私は浦河町へと車を走らせていた。私の住む町から約四時間の車内で目にするのは、北海道ならどこにでもある、使うあてのない自然と、二分で通過する町の中心街。そしてまた使うあてのない自然、農家の廃屋、廃れたドライブインの看板。
大樹町で国道二三六号線「天馬街道」に入り、広尾町で日高山脈に向かって右に折れる。美しい渓谷を眺めながら野塚トンネルを超えると、目的地の浦河町だ。
長く続いた
牧場、牧場、牧場、牧場。
道の両脇にはどこまでも牧場の柵が連なり、その向こう、山裾まで続く草原の遠く近く、馬たちが思い思いの時を過ごしている。
……玉ねぎ畑かよ?
畑作地帯の故郷に暮らす私は胸の内でそうつぶやく。故郷の玉ねぎ畑のように、どこもかしこも競走馬の牧場だ。その入口に建つ家も、畑作農家のそれとそれほど違わない。
まるで玉ねぎのように、この町では毎年馬たちが生産され、中央での優勝を目指して育成されているのだ。その事実に思い至って、少しだけ、暗然とした。
昨年二月のスマートフォンゲーム業界は、ある一つの奇態なゲームに熱狂した。ゲームの名は「ウマ娘プリティーダービー」。スマホの画面に登場するウマ娘たちは、宿命のように名馬の名を名乗り、プレイヤーと共に目標レースの数々に二人三脚で挑戦する。目標レースを勝利したウマ娘は、ウィニングランならぬ〈ウィニングステージ〉でアイドルのようにセンターステージに立ち、大観衆の前で歌い踊る……
牡馬も牝馬もオタク受けする美少女に〈転生〉させられた、競馬愛好家の神経を逆撫でするかの如きこのゲームに、年甲斐もなく私もまた熱狂した。年末の「ネット流行語一〇〇」に選ばれるほど、私を含む多くの人達がこのゲームを受け入れたのは、ウマ娘が名乗る名馬の「物語」に、心奪われたからだろう。
午後一時半。約束の時間に渡辺牧場に到着した私がまず目にしたのは、簡素といってもいいその佇まいだった。以前暮らした酪農の町でよく見かけた乳牛牧場と同じ、いやそれよりも小さな牧場。どの建物も、それ相応の年月を経て、
心もとなく立ちつくす私に声をかけてくれた女性が、牧場に入る諸注意を施して、ナイスネイチャの元へと案内してくれた。
「ウマ娘プリティーダービー」の目標レースは、そのウマ娘=競走馬にゆかりのあるレースが設定されている。その目標レースに至る物語の中で、トレーナーである
いわばこのゲームは、実在した競走馬という「原作」を下敷きにした二次創作だ。そして優れた二次創作がそうであるように、このゲームにも、原作である競走馬たちへの、競馬への愛が、織り込まれていた。
そんな製作者側の熱に当てられ、ウマ娘の名前をネットで検索する私の前に、「原作」たる競走馬たちが、その「物語」がたち現れる。目標レースだった名勝負の映像、そして実況。
「ウォッカ先頭、牝馬が見事に決めました!」
「中山二〇〇〇メートル、まずは道を繋ぎました。アグネスタキオンまず一冠!」
「キングヘイローがまとめて撫で切った!」
「これが女馬の走りでしょうか! ねじ伏せました! 力でねじ伏せたエアグルーヴと武豊!」
後は中毒患者の如く、動画サイト視聴を繰り返す日常が始まった。私の競馬の始まりは、確かにこの時だったのだ。
ナイスネイチャは、眠たげだった。
一瞬、ゲームで育成した、美少女化したナイスネイチャが二重写しになって、消えた。
ナイスネイチャはほぼ動かない。たまに動いては頭を垂れて、草を食んでいる。
その隣のメテオシャワーが、私の横にいる見学者に顔を近づけて、懐いている。
……ネイチャ、お前と走った馬たちのほとんどが天に召され、お前に優しかった人たちの幾人かは鬼籍に入った。お前はそのことを知っているのか。さみしくはないか、ネイチャ。
私はただ、彼を見ていることしか、出来なかった。
競馬に興味をもち出した頃には、その白馬の名前は知っていた。ソダシ。まぎれもない世界のアイドルホース。私が彼女に胸掴まれたのは、ダート二戦の敗戦後に臨んだ今年五月一五日の、ヴィクトリアマイル戦だった。
東京競馬場芝一六〇〇メートル。第四コーナーを過ぎた最後の直線。終始好位に付けていたソダシが「ギアを上げた」とばかりに先頭へと駆け出した時、それはまぎれもなく夢のはじまりだった。
私は職場のテレビを、呆然と見ていた。
暗色の馬群を後にした純白のソダシが、天使の手に導かれたかのように先頭へと抜け出しゴールした瞬間、日々の疲弊が洗い落とされた気がした。「報われた」とさえ思った。
ああ、ソダシが描く「物語」を、俺はいつまで見られるのだろう。
アイドルと競走馬に、もし共通点があるとしたら、その輝きの短さだろう。「一瞬」と言ってもいい。そしてアイドルと同じく、ファンの希望と欲望を一身に受け、馬たちはコースを駆けていく。
「どうか勝ってくれ、どうか美しい物語を見せてくれ」そんな身勝手な人の願いに耐えかねて、多くの馬たちが勝ち上がれないまま、競馬場を去っていく。
ステージを去ったアイドルならまだしも、競走馬は自らの意志でその生を全うすることが叶わない。人のために生を受け、人のために走らされ、人のために子を作り、いつか厩舎を去る「経済動物」。ゲームに興じ、画面に映る競走馬たちを見続ける私はいつからか、引退した競走馬に、心を傾けはじめていた。
見学した渡辺牧場には、春風ヒューマという馬がいる。お願いして、会わせていただく。
競走馬時代の名前はトウショウヒューマ。名馬グリーングラス産駒。生涯戦績五〇戦四勝。最後の勝鞍は四歳以上九〇〇万以下。競走馬引退後は騎馬隊に入隊、十年間を勤め上げた彼が渡辺牧場にたどり着いた時には「馬房に寄りかかってやっと立っていられるような姿」だったという。
ドキュメンタリー映画にも登場した、牧場主の渡辺はるみさんが、私に人参を手渡してくれる。春風ヒューマに差し出すと、彼はゆっくりと、でもしっかりと食べてくれた。
おつかれさま、ありがとう。
胸の内でそうつぶやいた。
「ウマ娘プリティーダービー」は、私を競馬へと導いてくれた。導かれた先には、胸焦がす数多の「物語」が待っていた。そしてソダシは、現在進行形の「物語」に、私を導いてくれた。
今年もまた、ソダシが札幌競馬場に来る。札幌記念連覇という「物語」を描くために。
札幌競馬場へ行くんだ。ソダシという「物語」を、画面からは伝わらない熱と匂いを、体全体で受け止めるために。そして勝ちきれぬまま去っていく、競走馬たちを思おう。
「天馬街道」を北上し、家路に向かう車内で、私は気づく。この、ナイスネイチャに導かれた初夏の旅が、春風ヒューマに会うための旅でもあったのだと。
ネイチャ、そしてヒューマ、あなたに会えて本当に良かった。私はあなたを忘れない。
そして、今日もどこかで、