日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

添い寝

「最近牧師のような生活をしているから」と散々エロトークをしている最中にそう言えば、私が何を言わんとしているのかわかっていただけるはずだが、人は優しい。誰も44歳の独身中年にそれ以上の突っ込みはしてこない。しかもそれは牧師ではなくて神父では?*1という厳しい突っ込みもない。優しすぎる人は嫌いだぉ。
 そういう訳だから最近は、セックスのあれこれを想像するのが難しい。自分がそういうシチュエーションになることが想像出来ない。せいぜいキス止まりである(キスはいいよな)。絡み合った男女を見ても「何だか忙しそうだ」という茫漠とした感情しか持てないのである。全然燃えない。
 そんな最近の私にとって唯一甘い想像ができるのは「添い寝」である。ただ横に寝るのじゃなくて「添う」。びったりと抱きあうのでもなく、かといって間をあけるのでもなく、相手との距離をはかりながらでもそばにいる。うすく吐息を吐きながら小動物のように眠る無防備な恋人の顔を見るのは、村上春樹が言うところの小確幸、すなわち「小さくても確実な幸せ」の一つであろう。大体そんな時にセックスの方へもっていくのが、何というか、もったいない。この小確幸に問題があるとすればそれは、きっと賞味期限が短いことだろう。人は慣れる。


 楽しい時間はあっと言う間に過ぎていく。
 彦星の ゆきあひの空を ながめても まつこともなき われぞかなしき(建礼門院右京大夫

*1:牧師は結婚しても良いのである。