日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

誰もちゃんと聞いていない

 中川智正の“聖なる名”を調べるためwikipediaを開いた時に、村上春樹にリンクが貼ってあった。地下鉄サリン事件を扱ったノンフィクション「アンダーグラウンド」(読んでいないなそういや)とオウム真理教信者のインタービュー集「約束された土地で」を書いたからだ。村上春樹もまた毀誉褒貶の激しい作家のひとりだ。特に海外の評価に比べて日本の文学関係者(作家、評論家など)の評価は低い。
 詳しくはWikipediaの村上春樹の項を読んでいただく*1として、そのWikipediaの項目に、村上春樹エルサレム章を受賞した際のスピーチで有名になった「壁と卵」の話がある。

壁と卵
村上のエルサレム賞受賞スピーチ「壁と卵」に対して、批評がなされている。村上は、エルサレム賞受賞時、スピーチの中で、自身が小説を書く際に留意していることとして「壁と卵」の比喩を用いた。村上はその比喩について自ら解説し、明らかにしている。それによると、卵は全ての人間のことであり、壁はシステムのことである、人間を脅かすそのシステムから魂を守るために小説を書くのである。村上はそのように解説をした。

斎藤美奈子が『朝日新聞』紙上で受賞スピーチについて述べるには、「卵を握りつぶして投げつけるぐらいのパフォーマンスを見せればよかった」「ふと思ったのは、こういう場合に『自分は壁の側に立つ』と表明する人がいるだろうか」という。

エルサレム賞ノーベル文学賞の登竜門であるとされることから田中康夫浅田彰との対談で、「誰もが『卵が尊い』と唱和する局面であえて、壁の側にだって一分の理はあるのではと木鐸(ぼくたく)を鳴らしてこそ、小説家としての証しだとするなら」という前置きをし、ノーベル賞をくださいと正直に言うことが大人の商売人であるという見解を示し、村上の思考と発言の矛盾として論評した。ただし、2009年2月27日、新党日本YouTubeチャンネルで、田中は村上にノーベル賞への気持ちがあったかどうかは、問わないとしている。浅田彰は田中との対談で、壁と卵の比喩が曖昧すぎると批評した。

 思うにここに引用されているそれぞれの発言は、たぶん「壁と卵」のスピーチをマスコミが大々的に取り上げ、大政翼賛会の如く「村上春樹は日本が誇る文学者」うんぬんと賛美の言葉をばらまいていた頃の空気を受けてであろう。

いつでも卵の側に
村上春樹

今日私はエルサレムに小説家として来ています。つまり、プロのホラ吹きとしてです。
もちろん、小説家だけがホラ吹きというわけじゃありません。政治家もそうだというのは、みなさんもご存じのはず。外交官や軍人も状況によってそれなりにホラを吹くし、自動車営業マンやお肉屋さんや建設業の人も同じです。でも、小説家のホラ話に違いがあるとすれば、それを語ってもなんら不謹慎だと非難されないことです。実際、小説家のホラ話が大ボラで手が込んでいて創造性に富んでいるなら、その分、社会の人や批評家から褒められるものです。何でそうなっているんでしょうか?
私はこう答えたいと思います。つまり、創意のあるホラ話を語ることで、なんていうかな、作り話を真実であるように見せることで、小説家は新しい場所に真実を生み出し、新しい光をあてることができます。たいていは、現実のままのかたちで真実を掴むことや正確に描写することは不可能です。だから私たち小説家は、真実というものの尻尾を捕まえようとして、そいつを隠れた場所からおびき出し、虚構の場所に移し替え、虚構という形に作り直そうとするのです。しかし、これをうまくやり遂げるには、最初に自分たちの内面のどこに真実があるのかをはっきりさせておく必要があります。いいホラ話を作るのに重要な才能というのは、これです。
とはいえ今日私はホラ話をするつもりはありません。できるだけ誠実でありたいと思います。一年の内で一生懸命ホラ話をするのを差し控える数日が、たまたま今日に当たったわけです。
じゃ、ホントの話をしましょう。少なからぬ人が私にエルサレム賞を受賞に行くのはやめなさいとアドバイスしてくれました。君が行くというなら君の小説のボイコット運動を起こすよと警告した人もいました。
理由は言うまでもありません、ガザで荒れ狂う激戦です。国連の報告では封鎖されたガザ市街で千人以上が命を落としました。非武装の市民もです。子どもや老人もです。
受賞の知らせを受けてから何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルに行き、文学賞を受賞するというのは、適切なことなんだろうか、と。また、紛争の一方に加担したり、圧倒的な軍事力を行使する国家の政策を支持したりといった印象を与えることになるのではないか、と。もちろん、私はそんな印象を与えたいと願っているわけはありません。私はいかなる戦争も是認しませんし、いかなる国家も支援しません。それに、自分の小説がボイコットされるのは望みません。
でも結局、いろいろ考えたすえに、ここに来ることを決心しました。決心の理由の一つは、私が行かないほうがいいとアドバイスしてくれた人が多すぎたことです。そのですね、他の小説家もそうだけど、言われたこととちょうど逆のことをしたがるものなのです。人が私に「おまえはそこに行くな」「そんなことはするな」とか言ったり警告したりすると、私は行きたくなるし、やってみたくなる。それが自分の性分だし、まあ、それが小説家というものです。小説家というのは生まれつきそんなやつらなんです。こいつらは根っから、自分の目で見て自分の手で触ってみないかぎり、何も信じないのです。
それが私がここにいる理由です。私は欠席ではなく出席することにしました。見ないでいるより自分自身で見ることを選んだのです。何も言わないでいるより、あなたたちに語ることを選んだのです。
私がここに来たのは、政治的なメッセージを届けようということではありません。でも、もちろん善悪を判断しようとするのが小説家の重要な責務の一つです。
小説家がどんなふうに判断を伝えるか。その方法を決めるのは、なんであれその小説家に任されています。私はといえば、現実性を見失いがちだとしても、それをお話にしたいと思います。それが、政治的なメッセージを直接伝えようとみなさんの前にやってきたわけではないという理由です。
私の個人的なメッセージになるをお許し下さい。それは私が小説を書くときいつも心に留めていることです。メモ書きして壁に貼っておくとかまでしませんが、それでも私の心のなかの壁に刻み込まれているものです。こんな感じです。
「私が、高く堅固な一つの壁とそれにぶつけられた一つの卵の間にいるときは、つねに卵の側に立つ。」
ええ、壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。何が正しくて何が間違っているか決めずにはいられない人もいますし、そうですね、時の流れや歴史が決めることもあるでしょう。でも、理由はなんであれ、小説家が壁の側に立って作品を書いても、それに何の価値があるのでしょうか。
この例え話の意味は何でしょう? 場合によっては、単純明快すぎることがあります。爆撃機、戦車、ロケット砲、白燐弾が、高く堅固な壁です。卵はそれらによって砕かれ焼かれる非武装の市民です。それがこの例え話の意味の一つです。
でも、この例え話の意味はそれだけに限りません。より深い意味があります。こう考えてみましょう。誰でも、多かれ少なかれ、卵なのです。誰もが、薄い殻に包まれた、かけがえのない、取り替えのきかない存在なのです。これは私には真実ですし、あなたにとっても真実です。私たちはみな、程度の違いはあれ、高く堅固な壁に向き合っています。壁には「大いなる制度(ザ・システム)」という名前がついています。「大いなる制度」は私たちを守ろうと期待されている反面、時に独走して、私たちを殺害しはじめ、他国民を殺害するように仕向けます。それは冷血に、効率よく、制度的に進行するものです。
一人ひとりの人間が貴重な存在であることを表現し、光をあてること以外に、私が小説を書く理由はありません。物語の目的というものは、私たちの存在が、その蜘蛛の巣に絡み取られ卑小なものにされないように、警笛を鳴らし、「大いなる制度」に光をあて続けることです。小説家が絶え間なくすることは、かけがえのない人間の存在というものを、生と死の物語、愛の物語、悲しみや恐怖に震える物語、腹がねじれるほど笑える物語、そうした物語を通して丹念に描くことなのだと私は確信しています。だから私たち小説家は日々一生懸命、物語を紡いでいるわけです。
私の父は昨年90歳で死にました。父は教員退職後、お坊さんのアルバイトをしていました。父は大学院在籍時代に徴兵され、中国に送り込まれました。戦後に生まれた子どもとして私は、父が毎日朝食の前に仏壇で長く心に染みるお経を唱えていたのをよく目にしたものでした。私は父に一度理由を聞いたことがあります。父の答えは、戦争で死んだ人たちの供養ということでした。
父は、死者すべてを供養するのであって敵も味方も同じだと言いました。仏壇を前にした父の背を見ながら、私は私なりに、彼を取り巻く死の影を感じ取りました。
私の父は、私がけして知り得ないその記憶とともにこの世を去りました。なのに、父に寄り添い潜む死というものの存在は私の記憶に残っています。それは父から継いだ数少ないものですし、もっとも貴重なものの一つです。
今日私がみなさんに伝えることができたらと願うのはたった一つのことです。私たちはみな人間です。国籍や人種や宗教を越えることができる個人です。そして「偉大なる制度」と呼ばれる堅固な壁に向き合う壊れやすい卵なのです。見たところ、私たちには勝ち目がありません。壁は高くあまりに堅固で、そして無慈悲極まるものです。もしなんとか勝利の希望があるとすれば、それは、私たちが、自身の存在と他者の存在をかけがえなく取り替えのきかないものであると確信することからであり、心を一つにつなぐことのぬくもりからです。
もう少し考えてみてください。誰だって自分の存在は疑えませんし、生きていると確信しています。「大いなる制度」はそれとはまったく違う存在です。私たちは「大いなる制度」とやらに搾取されてはなりませんし、独走させるわけにはいきません。「大いなる制度」が私たちを作ったのではなく、私たちが「大いなる制度」を作為したのです。
私が言いたいのはそれだけです。
エルサレム賞をくださることに感謝します。私の作品が世界中で読まれていることに感謝します。そして、今日、ここで、あなたたちに語る機会を得たことを嬉しく思います。

 スピーチ全文の日本語訳は極東ブログさんから引用した。村上本人がスピーチした英文も併記されていて親切である。
 このスピーチを読んで、どういう心持ちで「卵を握りつぶして投げつけるぐらいのパフォーマンスを見せればよかった」「ふと思ったのは、こういう場合に『自分は壁の側に立つ』と表明する人がいるだろうか」とか「誰もが『卵が尊い』と唱和する局面であえて、壁の側にだって一分の理はあるのではと木鐸(ぼくたく)を鳴らしてこそ、小説家としての証しだとするなら」「ノーベル賞をくださいと正直に言うことが大人の商売人である」という言葉を用いれるのだろう。軽口は使い方が難しい。このスピーチを読めば「壁(=大いなる制度)」は「卵(=個としての人間)」を守ってくれるものでもある、と記されているではないか。そういう関係だから「『大いなる制度』が私たちを作ったのではなく、私たちが『大いなる制度』を作為したのです」と警告を発しているのだと思うのだが。
 もちろん小説家の言葉は基本的に読み手に対して開かれている、そういう覚悟が小説家には必要だと思う。どんな共感批判も小説家は、自らの意に反してさえも甘んじて受けなくてはならない、という覚悟である。もちろん村上春樹にもその覚悟はあるだろうと思う。
 そして読み手が、そんな小説家の言葉に対しての発言をする時には、やはりその小説家の覚悟に見合った覚悟を(読み手なりに)持つのが「礼儀」だと思う。例えば取るに足らないだろうこのブログでも、そういう礼を欠いた発言をしないよう心がけたいと思う訳です。言葉というのは怖いものである。

*1:唯一納得いく批判は小谷野敦の「巷間あたかも春樹作品の主題であるかのように言われている『喪失』だの『孤独』だの、そんなことはどうでもいいのだ」「美人ばかり、あるいは主人公の好みの女ばかり出てきて、しかもそれが簡単に主人公と『寝て』くれて、かつ二十代の間に『何人かの女の子と寝た』なぞと言うやつに、どうして感情移入できるか」である。さすが猫猫先生、それは俺も共感出来るぞ♪