日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

「Rockin'on」から遠く離れて

今から多分三十年近く前、フォーク、ニュー・ミュージックと呼ばれた一群の音楽が「文学」の役割を果たしていた時代があった、と思う。文学作品を読むことが“教養”の一スタイルだったように、ある種の音楽を聴く事が“教養”だった時代が、確かにあった。それは音楽と云うよりも言葉、具体的には曲の歌詞に重きをおいた聴き方だったと思う。個人的な経験でいえば、中島みゆきのアルバム「愛していると言ってくれ」や井上陽水の「断絶」「センチメンタル」「氷の世界」といったアルバムを聴いた時、ただ音楽として聞き流しせないもの、例えば世界への新しい視点とか眺望とかを、確かにその歌詞から受け取っていた。
そういった態度はロックに対しても存在して、そういった「文学」系リスナーの総本山が、渋谷陽一が主宰していた雑誌「Rockin'on」だった。それは、書店で手に入れられるスマートな同人誌だった。そういう風にして「Rockin'on」を読んでいた時期が確かにあった。何せ俺は渋谷陽一の処女評論集「メディアとしてのロックン・ロール」を持っている*1。その程度には影響を受けていたのだ。素直だった田舎の高校生は、世の中を斜に構えて見る術を会得しつつあったのだ、それもまた田舎の高校生ならではと言えるのだけど。
*「http://blog.drecom.jp/ecolin_profile/archive/636
えこりんさんが“この記事、とにかく気合いが入ってるw”と書いている記事のライター:四本 淑三氏は、俺がちょうど「Rockin'on」を毎月購読していた頃に好きだった書き手だった。さすが四本、タイトルからして熱い(笑)。四本淑三、それと初代「音楽と人」編集長にして「Rockin'on」誌上で唯一ムーンライダーズをプッシュしていた市川哲史、ロック雑誌の癖に必ずといっていいほどワールドミュージック、あまつさえゲーンズブールのアルバム評を書いていた広瀬陽一、この三人が俺にとって記憶に残る書き手だった*2
今思うと、彼らにとっての「ロック」は、必ずしも音楽としてロック的かどうかではなかった。彼らの耳に届く音、それが「ロック」だったのだ。主観としてのロック・ミュージック、それは確かに「Rockin'on」の標榜する「ロック」を突き詰めたありようだったと思う。そしてその三人とも「Rockin'on」を離れ、今は別のフィールドで活躍している。

*1:初版ですぜ、古書店で今いくらぐらいするのかしら

*2:あともう一人“一條”なんとかっていう、当時よく"Smith"の評論を書いていた方がいたのだが思い出せない