日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

「誤読」してみる

hirofmix2008-11-09

昨日の続きをちょっとだけ。
Perfumeの新曲"Dream Fighter"について「結構評価が二分されている」と書き起こしたのは、ナタリーで紹介されていた"Dream Fighter"への書き込みを読んだためである。
どういう書き込みなのかはリンク先で読んでくれると助かるんだけど、どの否定的な言葉にもわりと「そうね、そうね」とうなずける自分がいたりするのだが、それにしても何故俺はこうして何度も何度も"Dream Fighter"を聞き直してしまうのか、という気持ちもあるのだ今も。単純にファンだからという理由でもいいんだが。
その理由を求めて歌詞を読んでいくと、ちょっとした理由を見つけることが出来た気がしたのだ。

最高を求めて 終わりの無い旅をするのは
きっと僕らが 生きている証拠だから
oh yeh 現実に打ちのめされ 倒れそうになっても
きっと前を見て歩く Dream Fighter

この冒頭の歌詞は、後に来るサビの歌詞を上下でサンドイッチしていたのに気づかされる。

最高を求めて 終わりの無い旅をするのは
きっと僕らが 生きている証拠だから

 もしつらい事とかがあったとしても それは君が
 きっと ずっと あきらめない強さを持っているから
 僕らも走り続けるんだ yeh
 こぼれ落ちる涙も全部たからもの
oh yeh 現実に打ちのめされ 倒れそうになっても
きっと前を見て歩く Dream Fighter

この歌詞の最初の二行(冒頭の歌詞の上2行)に登場する「僕ら」は、語る側=(僕?わたし?)と語られる側=「君」が一つになった「僕ら」という風に読める。
次に挟み込まれた2行の歌詞は「君」のことを歌い出す。
「もしつらい事とかがあったとしても それは君が きっと ずっと あきらめない強さを持っているから」
そして次の2行でまた「僕ら」が登場するのだが、ちょっとひっかかったのは、何故ここの歌詞が「僕ら」なのだろう? ということだ。
ちょっとここで「僕ら」を「僕ら」にしてみてほしい。
「僕ら走り続ける」に変えてみると、冒頭に登場した「僕ら」=「最高を求めて 終わりの無い旅をする」と歌われた『語る側=(僕?わたし?)と語られる側=「君」』として無理なく繋がるのだ。
なのにここで「僕ら走り続ける」としてしまうと、こんな問いが出てきてしまう。「僕らも」?そうするとあれ?「僕らも」って言われても「君」も「走り続けてる」なんていつ言ったっけ?ねえ?「走り続けてる」のは「語る側=(僕?わたし?)と語られる側=『君』」として「最高を求めて 終わりの無い旅をする」「僕ら」じゃなかったの?「僕ら」は一緒じゃなかったの?


この問いに対して次のように答をひねり出した。
実はこの歌詞において語る側とは、(僕)や(わたし)という単数形じゃない、複数形の「僕ら」だったのだ、と。
だからこの曲で使われている「僕ら」には二つの意味があるのだ。

  • 語る側としての「僕ら」=Perfume
  • 「僕ら」=Perfumeと語られる側の「君」が一緒になった「僕ら」

言うまでもないが「君」とは、あなたでありわたしであり、Perfumeの歌声がその胸に届けられた者、すなわちファンだ。


この二つの「僕ら」を区別するために、2番目の「僕ら」を「私達」と書き分けてサビのフレーズを書き変えてみる。
あえていう、これは「誤読」であると。


最高を求めて終わりの無い旅をするのは、
きっと私達が生きている証拠だから。

もしつらい事とかがあったとしても、それは君がきっとずっと、
あきらめない強さを持っているから、僕らも走り続けるんだ。僕らのこぼれ落ちる涙も全部たからもの。
私達が現実に打ちのめされ、倒れそうになっても、きっと前を見て歩く。



私達はDream Fighter.