日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

晶文社の話

*「http://d.hatena.ne.jp/solar/20051116/p1
特別深いつきあいのある出版社ではないので思い入れはないのだが、おれにとっての晶文社には独特の匂いがあって、若い頃には、あの犀のマークを見ると、ちょっと敬遠していた。
今思うと、晶文社におれはある種のスノビズムを嗅ぎ取っていたのだろう。当時のおれのテリトリーで表現すると「68/71黒色テント的な匂い」とでも云おうか。テント芝居をやってんのに主役級の役者はホテルに泊まる、みたいな(今となっては、それが何故いけないのかさえ、失われた気がする。おれにも社会にも)。クラシック音楽の環境に身を置きながら、民俗音楽や歌謡曲に肩入れするようなスノビズム。そういや水牛楽団っていうのもあったな、聴いた事ないけど。ある意味階級的差異を感じとっていたのかも知れない。
それでも手持ちの何冊かの本には、あの犀のマークが背表紙を飾っている。坪内祐三「雑読系」小谷野敦「軟弱者の言い分」イタロ・カルヴィーノ「魔法の庭田口ランディ「できればムカつかずに生きたい」山形浩生「新教養主義宣言」などなど。そして小林信彦「東京のロビンソン・クルーソー」。
ご存知のように出版社と云うのは、その社長や編集者の嗜好がそのまま商品に体現されるものだ。個性的な出版社というのは「馬から落馬」と云うようなもので、濃淡はともかくもその個性なくしては出版社と言うことは出来まい。


今更云う話でもないが、ご冥福をお祈りしたい。それと、今回はじめて晶文社出版が設立した意味を知る事が出来た。