日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

あんまりセックスを特別視するのは確かにいただけない、とはいえ

*藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」
女性が性についてどう考えているのか? そんな疑問を持っているのである。「そんなの人それぞれじゃない?」という返答はあまりにも正当だ。しかしこちとら類としての男である。しかも男によくある話で、女性に聖性を感じ取ってしまう(こういう輩は大概女性を「処女」か「娼婦」にしか見ない)類いの人間なので、その手の発言行動には十分注意してはいるのだが、だってキレイなんだもの仕方がない。すべての女性は美しい。
だのに女性はただの女性で(当たり前ですね)、あり得ない男と無駄にセックスもするし非生産的なオナニーもする(楽しいが)。それでも個性というよりどうしようもなく男であり女である、という性の違いを考えさせてくれたりするのが、この方のブログである。はっきりと言うが、この方の文章は時に読むのが辛くなる。それは彼女の今までの暮らしぶりを伺い知ることだったり、性についていいかげんではいられないことだったりする訳だが、おれとしては単純な話「つき合い出した彼女がこういう方だったらどうしよう?」という藩さんには誠に申し訳ない気持ちで読ませていただいている。そりゃあ相性と云うのがあるからどうしようもないのだが、受け入れられるものは受け入れたい、と読みながら思うのだ。それが言葉で表出されているなら、同じ感情になれるかどうかはともかく、冷たくも理解は可能かも知れないから。だからって二人の仲が上手く行くかどうかも定かではない。二人ってなんだ。いねえよ。
ただあれですね藩さん、「会話は、セックス。共有する時間も、セックス。そんなセックスができたなら」というのは本当に、本当ですわねオホホホホ(なんかここらへん夏絵が書いている気がする)。なんか誰もそんなこと考えていないのかも知れないけど。*1

*1:特に男。男のセックスのイメージは会話と云うより演説だ。