日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

深夜に

hirofmix2005-11-01

規則正しい生活が、望ましい。休日を無駄に過ごすのは、日常生活での雑事を習慣化していないからだと思う。仕事のある日の方が、休日よりも身の回りの雑事をこなしている事が多いのだから。
雑事をこなしている内に、辛い事は忘れる事が出来る。本当の事に目をそらすために、人には雑事があるのだよ。雑事を離れ、こうして深夜、言葉を連ねることが、何て事のない悲しみを深く自らに刻み込んでしまうのだ。


人は食べ人は排泄し人は生きている。それだけは何よりも変わらないこと。
記録に留めないかぎり毎日の感情生活は忘れ去られていく。記録でさえも紙は風化しハードディスクはクラッシュする。それに例え記録が永遠であっても俺はいつか死ぬ。いつかウェブ上に「墓石」が出来る日も近いだろうな。


ただ愛だけが、人を記憶し次の人に記憶をつなげていく、と俺は思っている。
だから、人を愛し愛されなさい。神でもないのにそう言う。
けれども人が永遠でないように人の愛もまた永遠ではない。もし人に永遠があるなら、人の愛はそれよりもちょっと、短く出来ている。


けれども、死ねないままに生き続けるのはもっと辛かろう。
自分を憶えていた人たち、愛し愛された人たちが死んでいくのを、ずっとずっとずっと見送るしかない辛さは、人が想像出来る非現実の事柄の中でもあまりに痛切である。吸血鬼の悲しみ。


深夜には、寝るに限る。
人は夜に死に、人は朝に目覚める。目覚めない人もいる。おやすみ、優しかった人よ。