日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

『ミスティック・リバー』を観る

ミスティック・リバー [DVD]

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これも移動中のバスで観ようと借りてきたビデオだったが、観る時間がなかったので家で見た(吹き替え版だけどね)。いやもう何て言ったらいいやら……恐ろしく暗い物語。


三人の少年が登場する。通りで遊んでいるところを、一人だけが連れ去られていく。四日後、誘拐された少年は犯人から逃亡した。
三人の少年は成長し、誘拐された一人は貧しく家族と暮らし、一人は町の顔役となり、もう一人は刑事になる。ある朝、顔役の娘が何者かによって惨殺された。刑事は犯人を追い、町の顔役は犯人への復讐を誓い、誘拐された一人が、犯行のあった晩、血だらけになって家に戻っていた。
家族にさえひた隠しにするその夜の出来事が、刑事と町の顔役に、彼を犯人として浮上させていく……


「不幸の連鎖」というものがあるのなら、この映画はもまたそうである。最後に明かされた事の真相は、タイトル同様、夜の河のように暗く、深い。
そして何よりも悲しいのは、人はその「不幸の連鎖」でさえも「糧」として生きていくしかないと言う事だ。もちろん、その「糧」を「糧」として克服しえたならいい。しかし人生は容易に人を克服しえない運命に立ち向かわせる、裸のままで。一度起きた事はなかった事には出来ない。一度起こした事は後戻りは出来ない。それを「糧」にして生きていくしかないのだ。確か「マトリックス」の中でエージェント・スミスが「人は苦しむ事からしか学ぶ事が出来ないのだ」とか何とか、そういう台詞があったように思うが、それは本当だろうと思う。
映画館で見ていたら「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観た後同様のやり切れなさに打ちのめされたに違いない。どちらの映画も、それ相応の覚悟の上で観ていただきたい。


思うに「神様」というのは、超えられない自分を超えているものの総称だ。信じられるものなら、信じたいと思う。それが「神様」とは呼べないものかも知れないにせよ。
よく人は「神様」というものを作り出したものだ。別役実先生同様、俺もその暗い情熱を想像すると慄然とする。