日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

上手い、上手いぞ村上春樹!

青春の一冊、それはサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」。原題である "The Catcher in the Rye" を少女マンガ顔負けの「ライ麦畑で…」と訳した野崎孝先生のセンスは確かに良かった。白水社の白いカヴァーは文学のかほりも値段も高く、その手の匂いに弱い高校生のおいらは当然のように購った訳だが、読み通せたのは一度きり。主人公が放校になった高校を出て行くまでの情景はわりと思い出せる(ストーリーはともかく、何故かしらその情景は記憶されているな)けれど、後半部分はもう憶えていない、どんなラストだったかさえ。
で、話題性あふれる村上春樹訳の「ライ麦畑でつかまえて」こと原題に戻って "The Catcher in the Rye" 。世界の文学シリーズの光沢のある白カヴァーから白地にくすんだ赤のタイトル文字が素敵な表紙にイメチェンした。で、読んでみると、やたらと読みやすい。ああ本当に村上春樹の訳は読みやすい(実は書店で読むまで買う気はあんまりなかったのよ。この文体なら読み通せるなと直感して購入したのだ)。この小説はご存知の通り、主人公が「君」に向かって話しかけるスタイルをとっているのだけど、その少年の話し方や言葉使い(いわゆる“若者言葉”なんかの言い回しとか)が野崎訳に比べてずいぶんこなれている。ので、すらすらと読めていく。原文のニュアンスなぞわかりようもないのでこうすらすら読めるのが原文通りなのかどうか、どうこう言える訳でもないが、読みやすいのはまずは素晴らしい。村上春樹は何を訳しても村上春樹作品になる、というのは実際そのとおりだろう。
そういや坪内祐三en-taxi で「(以前村上が)『ライ麦…』なんてつまらない、と云っていたくせにいきなり訳するなんて」と文句を云っていたな(村上自身は内容より文体に惹かれて訳したとは云っているが。詳しくは白水社特集ページ http://www.hakusuisha.co.jp/current/topics/rye1.html)。以前フィッツジェラルドの「偉大なるギャツビー」を訳したいと云っていた村上春樹だが、そっちはどうなったのだろう。カポーティーの「双頭の鷲」も前世紀に訳し終えているだろ村上春樹フィッツジェラルドは老後の楽しみにとってあるのか村上。それともフィッツジェラルド全集全訳するか荒地出版さしおいて春樹。