日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

他愛の無い話をひとつ

 最近、ネットで知ったフランスのロワイヤル・ド・リュクスという……しかし、これは何て言うんだろう、アートとしか言いようのない彼らの作品を、DVDを借りて観ている。

 凄いでしょ。凄くないですか。こんなことが子どもの頃に自分の住む街で起こったら、いつまでもいつまでも憶えているに違いない。もし結婚して子どもが出来たら「父さんはお前ぐらの時にね、巨人に会ったことがあるよ…」と語り継ぐだろう。そんな風に語ることが出来る作品が存在しえたという事実に、私は彼の地フランスへの憧憬を禁じ得ない。アートというにはあまりにも見世物まがいで、子ども騙しにしてはあまりにも巨大で、演劇というのが究極「世界を一から構築すること」であるなら、これもまたひとつの演劇作品である。この時この街に住んでいた人たちがとても羨ましい。
 いや実は今までの話は振りで、他愛のない話はこれからなんだけど。
 この作品の中で、巨人がアリアをうっとりと聞き入るシーンがあって(曲名はわからない、メロディーは聞いたことがあるから有名な曲だと思う)、当然のようにまわりにいる街の人達もみんなうっとりして聞き入ってるんだけど、見る限りほとんどの人がその曲を知ってるんだね、老いも若きも。そういう風に長い時間軸で人をつなぐ曲がまだ日本にはないかなあ……って思った訳ですよ。強いて言うと唱歌がそれにあたるんだろうけど、そういう公的機関を通じて憶えた曲、学んだ曲以外、もっと簡単に言うとポピュラー音楽ではまだないかなあ……いや、なきゃダメだって言うんじゃないけどね。唱歌がダメっていう話でもないし。
 時間切れです。では、行ってきます。