本の森を歩く
むしゃくしゃして、でも適当な発散法も見つからず(脳内シミュレーションするとどれも淋しい結末になるのだ。年は取りたくないものですね)、どうするあてもなく車を北見へ向けて走らせていると、右手にコーチャンフォーが見えてきた。買いたい本も雑誌も雑貨もなかったが、トイレに寄りたくもあったし、とりあえず車を駐車場に入れた。
トイレで小用を済ませ店内に入ったものの、さて、どうしたらいいかわからない。ドトールでコーヒーを飲むような気分でもない。いま一番望ましいのはシーリーのベッドに横たわることなのだが、北見のコーチャンフォーにはまだ読書用のベッドは常備されていない。相変わらずあてのないまま、とりあえず前に向かって歩を進める。すると右手に、黒い木製の棚が見えてきた。
ボーンチャイナ、伊万里、九谷。コーヒーカップや花瓶、茶碗などが置かれた陶磁器のコーナーには足を踏み入れたことがなかった。気まぐれにコーヒーカップを集めているのだけど、ここに置いてあるような1ケ5,000円近くするような高級カップはついぞ持っていない。貧乏人の僻みと言われればそれまでだが、気に入ったデザインが見つけられないのだ。
こうして何かを“見つめる”こと自体に、精神を落ち着かせる作用があるのかも知れない。いや、落ち着かなければ“見つめる”ことなど出来ないだろう……どこから調達され、どうやってここまで来たのかわからない様々な商品を、博物館内を歩くような心持ちで見ている内に、多少気持ちが落ち着いてきた。そうして壁際のメイン通路に戻り、書籍のコーナーへと移動する。
右側に陳列されていたポストカードが、絵本や絵画集、写真集に変わる。そこが書籍の森の入口だ。メイン通路から左折し、左手に児童文学の書棚を眺めながら正面のつきあたりまで歩いてみる。久しぶりにハリーポッターとダレン・シャンの背表紙を見た。いつもは一冊の本を求めてうろつきまわるのだが、今日はほしい本も必要な雑誌も何もない、ただの散歩だ。雑貨コーナーに通じる中通路を横切ると次は参考書の棚。薄くて色鮮やかなテキスト集を眺めつつつきあたり右へと折れると、左手には厚手の受験参考書、それらがやや続いて文庫版のマンガ本コーナーに変わる。ぼくの地球を守って、機動警察パトレイバー、天は赤い河のほとり……読者層が重なるからだろう、マンガコーナーと参考書コーナーは隣り合うことが多い。
文具文房具のフロアではひとつの商品を“見つめる”ことになったが、書籍フロアではまなざしがゆるやかに“眺める”感じに変わっている。こうして背の高い書棚の間を歩いていると、いよいよ森の小道を歩いている気分になってくる。森林浴にはマイナスイオンだかのヒーリング効果があるとも言われるが、本好きにとって書棚の間を歩くのは、森林浴と同程度、いや以上の効果があるのかもしれない。少なくともこの夜の私には効果的だった。彼女の横顔を見るまでは。
ひと違いだった。「人は見たいものしか見ない」というのはやはり真実だったね、とひとりごちてふたたび本の森の散歩に戻る。
買いもしない本を漫然と手にとって眺めるのは、貧乏人にも許された贅沢である。この夜をひととき楽しませてくれた一冊は「バンド臨終図鑑」だった。
こうして、書店セラピーの時間は過ぎていった。積極的なストレス発散法ではないけれど、次回またむしゃくしゃした折にはこうしてみるのが良さそうだ。