日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

牛飼いと話す

 どうして職場の、しかも俺の真向かいに牛飼いが座っているのか、説明出来る言葉がない。
 幻想の類いだろうか。牛飼いはデスクの向かいで麦わら帽子・作業用のツナギ・泥だらけの長靴といういでたちで淡々と事務をこなしている。しかも俺より仕事が速い。どういうことだ。今はただ「世界は不条理に満ちている」という一般論しか俺には持ち合わせがない。
 仕事の手が空くとそんな牛飼いと話をすることになる。幻想なのに。
「hirofmixさん、今日はあのブログもう読みましたか。どうですか」
「……まあ、かなり赤裸々に書いてるよね。書かなきゃいいのにって思わないでもない」
「今度コメントしたらいいじゃないですか、ステキ!これからも頑張ってください!って(笑)」
「悪趣味だな」
「悪趣味は楽しいじゃないですか」
「楽しいよな」
「hirofmixさんのブログは、なんか使う言葉が難しいから、面白くないですわ(笑)」
「ほら、俺はこんなに難しい文章が書けるんだよ、っていうのをアピールするのが大事だから(笑)」
「いやらしい人ですね」
「嫌なヤツなんだよ」
「今度そのいやらしい筆運びで、あのブログのことも書いてみて下さいよ」
「いやだよ、どうして俺ばっかり悪者にならなきゃならんのさ」
「じゃあ今晩焼き肉おごって下さい」
「どうしてだよ」
「仕方ないですね、じゃあ財布だけ俺に下さい」
「嫌だってば」
 まったくその通りで火中の栗を拾うのは誰だって避けるものである。ただ時折、自分の書いた言葉が誰に、どんな風に読まれているのかという事を置き忘れたままブログが更新されたりツイートされたりしている、というのはそのブログに限らずともネットにはよくある話ではある。ネット上の彼も彼女もお前も俺も、そういう言葉を日々吐き出している。
 そうであればこそネットに書き込む言葉は、あなたが想定しない「読者」がいることをよくよく考えてから書いてほしい、というのがこの文章の教訓である。穏やかな表情の奥に苛烈な罵詈雑言が隠されていたなんて、胸の内にだけしまっておいてほしかった、ということは今まで一切ならず経験した悲しい事実である。