日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

祈ること

あなたのために、祈ります
実は、僧侶・聖職者・神主という仕事にも、漠然とした憧れを持っている。何故と言われると言葉に詰まる。上手く言葉に出来ない。
ただ、もしも高校・浪人と二度も受けて二度とも落ちた大正大学(西洋哲学科希望)に入っていたら、まかり間違えてそういう道へ進まなかったとは言えない。そういう性向が自分にはある。


先だっても日記に登場していただいた結城浩氏を知った時から、このサイトの存在は知っていた。彼が、誰かから送られてきたメールを読み、聖書に則して祈る。言ってしまえば、ただそれだけのことである。
けれども、誰かが誰かのために祈る事、誰かが誰かを大切に思っている事、それが「誰か」に与える力は大きいだろう。誰も自分のために祈る人などいない。大切に思ってくれる人などいない。そう思っている人間にとって、明日消えてもおかしくないウェブ上の言葉でさえも、大きな力になるだろう。そうして、普通に考えれば、誰も自分のために祈る人も、大切に思う人も、そうそういないのだ。
このサイトに新しい「祈り」が追加されるのを見る度に、人というものが持っている弱さを思う。その弱さを、忘れないでいたいと思う。


今日は、ここまで。