あどけない世界(再掲)
午後のスケッチ#1
窓。白いレースの向こうにある景色は見えないし、今はそれでかまわない。陽射しは、もう日の終わりが近づいていることをそれとなく匂わせている。暖かいが、暑くはない午後の陽射し。それは僕も相手も仕事のない休日の出来事に違いない。
ふたりとも、パジャマ姿からもう着替えているだろう。休日の朝を、それぞれの用事を家内ですませ、路地の角を曲がるようにして一息をつく時刻となる。窓際のテーブルにすわる。向かい合わせで。
CDの音楽が流れている。グールド? こんな時、どんな曲が良いのだろう。
それが当然の流れのように、僕は「珈琲、飲もうか?」と言う。言葉は疑問形でも、それは僕と相手にとって決まっていることだ。冷凍庫から珈琲豆を出し、二人分より多めの珈琲を作る。相手は窓の外を見ているかも知れない、古い雑誌を読んでいるかも知れない。何をしているにせよ、小さめの音量で流れている音楽とその音が伝える午後の静寂を壊すことはないだろう。窓外から遠く聞えるテレビの音も、時折聞える子どもたちのはしゃぐ声も、午後の静寂を伝えるだけのアクセサリーだ。
いまこの世界には、二人しかいない。ポットは珈琲の湯が沸いたことを教えて息絶える。
「この前ね、」と、どちらからともなく会話ははじまる。
手の中の珈琲カップの暖かさ。僕は頬杖をついて相手を見ている。
おたがいに話すのは、基本的にどうでもいい話。それは間合いの長いキャッチボールのようだし、行為に至らない愛撫のようだ。きっと薄く開いた窓からは風が入り込み、長いスカートのような白いレースを時折ゆらすだろう。
僕も相手も、もっと若かったなら、もうここで時が止まってしまえばいいと思うに違いない。けれども時が止まらないことを、もう僕も相手もよく知っている。時はいま、河の流れの傍にできる淀みのように、煙草の煙のようにたゆたっている。
「愛してるよ」という言葉は、きっと口に出してはいけない言葉なのだろう。口に出した途端に腐食して、呪いの言葉に変わるのかも知れない。だからテーブルをはさんで、こうしてただ相手を見つめているだけでいいのだろう。夕食の時間だって近い。やるべきことは数限りなくあるのだ、おたがいに。
それでも静かに時は流れていく。珈琲は冷め、音楽は途絶えた。それでもまだ君と......
あどけない、午後の話である。
明るい表通りで
と言っても、通りには誰もいない。たぶん、長い夏休みの内の一日なのだ。お金のある人もない人もイタリアに、ギリシアに、スペインに、せめて南仏にと車を走らせたのだ。だからここはきっとフランスなのだろう。行った事もないけど。
俺は灰色の、白と黒のグラデーションで描かれた明るい表通りを窓から眺めている。
ベッドの上には、さっきまで女がいただろう長い髪とうっすらとした匂いだけが残されている。
いやもしかしたら、俺がどこかから長い髪を数本と女の匂いのする何物かを仕込んできただけなのかも知れない。でもそういう策を弄するほどもう若くないからさ、きっといたんだよ。男にとっては金さえあればそういう女性を用意する事など、フランスでもきっと可能だ、こっちがアジア人だろうと。いや何も妄想にまで自らを卑下することはないじゃないか。そして小さなテーブルの上には冷めたコーヒーの器が二ヶ残されている。ほらね。いやだから何が「ほらね」なんだ。
話はちっともすすまない。ダイアローグがほしいのに、沈黙のモノローグが休日の部屋に満ちている。俺しかいない。
「どうしたの」と女が声をかけてきたのだ。
それはもう太陽が殺人的な陽射しを窓に機銃掃射しはじめた、静かな朝だ。その時の俺は裸のままてベッドにすわり、両ひざにひじをついてうなだれていたのだ。
話したいことがあるんだ、でも何を話したらいいのかわからないんだ。きっと俺の体臭はそんな言葉をぽってりとこぼしていただろう。しかもギリヤーク語で。
「淋しいの?」とまた女が声をかけてくる。
「淋しくなんかない」と俺は言った。実際「淋しい」と言ってしまうと、何か大切なことが失われてしまう気がしたのだ。淋しい訳じゃない。おまけに使ったことのないギリヤーク語をフランス語に変換してしゃべっているものだから大変だ。
「いつも指名してくれるのは嬉しいのだけど...」と、女は俺の背中に体を寄せてくれる。その暖かさは確かなものだ、いつか思いも言葉も約束も消えうせたにせよ。
出来ればここで泣いてしまいたい。その準備をしていたのだけど、そう簡単に涙が出せるものじゃない。もし出せたとしても、簡単に泣ける自分にきっと自己嫌悪しただろう。
「こんな休日に行く場所もないなんて、駄目よ。あたしだってこれから友達と海に行くんだから」「じゃあ、俺も連れていって」「それは無理」「お金出しても無理?」「そういう事じゃなくって...」
俺、そのワンピース、好きだな。それが女との最後の言葉で、女はありがとうと言ってドアを開いて、出ていった。
俺は今も明るい表通りを眺めている。猫さえ通らない。野良猫もヴァカンスに出たのか。いいね、素敵だ。
「明るい表通りで」の原題は "On the Sunny Side of the Street" という。
『コートをつかみ、帽子をかぶって、心配事はドアに置き去って、
明るい表通りに出よう!
あなたの足音が、楽しい調べを奏でる。
明るい表通りで、人生も愉快になる。
1セントもなくたって、ロック・フェラーの気分。
黄金のちりが、足元に舞い上がるよ』
ラヂオは歌い出す。だけど通りには踊る人の影さえない。
そしてまた受話器をとってかけなれた番号を廻すと、会社もまた夏の休暇。
爆弾の作り方がわかるなら、誰か今すぐ俺にインプットしてくれよ。
あどけない、休日のひとときのことである。
少し前に書いた短文である。最初のスケッチをここに載せようと思って、spotlightで「あどけない」という単語を検索したら、もう一方のスケッチもヒットした。二つ並べて見ると、何となく俺らしいと思う。