日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

問い:この文章の大意を述べたものを選びなさい。答え:3番「何にせよ先を取るのが大事である」(10点)


 ある種の洗練、としか言いようがない表現がある。たとえばこの、コンビニエンスストアのトイレの壁に貼られている「いつもきれいにご利用いただきありがとうございます」である。
 その表現の当初は、たとえば「便器を汚さないで下さい」という直接的な禁止を訴えるもの、または「利用後は水を流し汚れを落として下さい」といった事後策を指示命令する表現であったろう。そりゃあまあ当然の言い草である。客にトイレを貸してるのは(そして汚れた便器を掃除するのは)コンビニエンスストアである。臭い匂いに鼻をつまみながら、見ず知らずの人間の放った糞便を清掃するのである。具体的な指示命令禁止事項をはっきりと伝えたいその気持ちはよくわかる。しかし多分、そのように掲示しても事態は改善されなかったのだろう。加えてお客様は神様である。指示命令禁止されて喜ぶ者は神様でもいない。トイレを貸りてる側の癖に「押しつけがましい」「不愉快な表現だ」などと言う神もいただろうに相違ない。
 続いて登場したのが「トイレはキレイに使いましょう」だろう。従来に比して口当たりマイルド、どこか教訓的な香りさえする。この表現の要諦は、言葉の宛先を変えたことにある。当初の「便器を汚さないで下さい」「利用後は水を流し汚れを落として下さい」はトイレを使っている当人・汚している当人に向けて語られている。しかし「トイレはキレイに使いましょう」はその相手が当の利用者本人から一般利用者へ変化している。「君はキレイに使っているとは思うよ、君はね。思うけど、ほら、一般的にこういうトイレって汚れてたりするだろ? だからさ、いや君に言ってるんじゃないんだ、君はキレイに……うん、使っているからね」この程度には言葉の行く先をぼかしている。
 この表現で、確かに口当たりはマイルドになったろう。しかしその分当初の言葉が有していた強制力も削がれる結果となった。これでは便器を汚してもなお「いや俺的にはキレイに使ったよ?」と言い逃れする輩もいただろう。またもちろん「何故トイレに入ってそんな教訓を聞かなければならないのだ」と訝しがる筋の者もいただろう。
 そしてついに「いつもきれいにご利用いただきありがとうございます」だ。まだ使っていないのに礼を述べている。しかも「いつもきれいにご利用いただき」である。誰しも「ありがとう」と言われて面白くない者はいない。いつもトイレをきれいに使っていることも褒めている(実際はともあれ)。こういうのを武道では「先を取る」という。洋式便器に腰かけて「さあこれから…」という戦いのとば口でいきなり「いつもきれいに」と技を仕掛けられるのだ。アレと思う間もなく「ご利用いただきありがとうございます」で一本だ。日本の柔道はこうでなければならない。
 …などと、ここまで言っておいて何なのだが、この表現をトイレで目の当たりにする度に「何故俺の事を何も知らないお前に『いつもキレイにご利用いただだき』などと言われなきゃならんのだ?」と思って嫌いである。なのでいつかコンビニエンスストアのトイレに入った時、その壁にはやわらかい丸文字フォントで「いつも、ありがとう」とだけ書かれいるその日を、私は楽しみに待っている。