日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

或る種の「歌」はいかにして解き放たれるか

 TIMERSの夜ヒット事件の他にも、清志郎はこういった「活動」をずっと続けていた。その一つに、国旗国歌法制定時期に発表したパンク風「君が代」のことがある(といっても、俺はメディアを通じてしか聞いたことがない)。このことについて、日本のロックがどのように「君が代」を扱って来たかを検証した増田聡の文章の中に、清志郎の「君が代」についても解説があるので引用する。

 忌野が問題にしたのは、君が代の是非ではなく、君が代について自ら考えることを困難にしている言論空間だった。トリックスター的資質に富む彼にとって、この時期(注:「国旗国歌法」制定時期を指す)に君が代を(ロックの流儀で)歌うことは、いわば必然であったといえよう。しばしば誤解されるが、ロックが「政治的な音楽」と呼ばれるのは、それが何か明確な政治的主張を持つからではない。既存の政治的対立の軸を、サウンドによって「ずらす」からこそ「政治的」なのだ。だが、そのような対立自体を相対化する振る舞いは、君が代をめぐるタブーに触れるものだった。
 だが、結局は世に出たこのアルバム(注:「冬の十字架」を指す)に、右翼団体が抗議したという話は聞かない。また、野中広務官房長官(当時)はこの君が代カヴァーについて、「政府は法制化にあたって(演奏)内容に立ち至って規制はしない」とコメントしている。
 ポリドールは枯尾花に怯えていたのか(注:「冬の十字架」発売中止を指す)。いや、そうではないだろう。その歌は「正しく演奏し歌う」か「歌うことを拒絶する」か、どちらかしか許されていなかった。肯定/否定の激しい対立が、君が代の扱いを不自由にしてきた。忌野のカヴァーはそのような「君が代の神聖化」に僅かながら風穴をあけた、といえよう。実際これ以降、カラオケメーカーが「君が代」をレパートリーに収録することが一般化したという。「君が代の演奏を規制しない」という野中談話を引き出したことが、その後押しになっていることは想像に難くない。
増田聡著「聴衆をつくる―音楽批評の解体文法」「第6章 記号としての『ニッポン』(p145〜p146)」より引用

 こういう現実的な効力を発揮したのは確かに増田の言う通りなのだが、正直に告白すると、この時期に清志郎がパンク風「君が代」を発表することに、個人的には既視感にも似た印象を受けたことを思い出す。何というか“いかにも清志郎らしいな”という冷めた受け取り方だった。曲の発表、そしてマスコミの報道など、そういった一連の流れに対して、当時の自分は冷めた距離を置いていたと思う。
 そんな自分にとっては、ピチカート・ファイブのラストアルバム「さ・え・らジャポン」が提示した「君が代」の方にこそ心地よい衝撃を受けることになる。更に増田の文章を引用する。

 ピチカート・ファイブは、九〇年代に先端的な若者の間で人気を博した、「渋谷系」と総称されるミュージシャンたちの代表格だ。(中略)最後のアルバム『さ・え・らジャポン』(二〇〇一)は、正面から「日本」をテーマにした異色作であった。外国人の目から眺めたエキゾチックな国、日本のイメージ。このアルバムの三曲目に「君が代」が登場する。
ピチカート・ファイブの中心人物である小西康陽は、ある仕掛けを施した。インストゥルメンタルの二〇秒ほどの曲にまとめられたこの君が代は、原曲の壱越調律音階から長調へと移し替えられることによって、冒頭部分がバカラックの「サンホセの道」(一九六七)とほとんど「同じ曲」になってしまう。大胆なアレンジにもかかわらず、耳にするとすんなりと「おしゃれな君が代」が聞こえてくる、という仕掛けだ。(中略)
 小西は従来の君が代肯定派/否定派のどちらにもシンパシーを示さないし、忌野のような「ロック的振る舞い」にも懐疑的である。おそらく小西は、音楽が政治に従属したり、政治の対象になってしまったりすることに「うんざり」してるのだ。小西は音楽を政治に回収することを拒絶し、君が代をただ「音楽そのもの」として愛でようとする。
 政治的文脈と切り離しがたく結びついたこの曲を美的に演出する小西の振る舞いを、かつての進歩派ならば「政治の美学化」(ヴァルター・ベンジャミン)などと呼び、批判したかもしれない。だが、小西の微妙な「挑発」のニュアンスを見落としてはなるまい。小西は音楽に過剰な意味を見いだす、様々な「政治」をこそ(ひそやかに)批判し、音楽を音楽へと還元する。小西のアレンジは君が代の「ありがたみ」をはぎ取り、若者の身近にある「普通にいい曲」のリストに追加することへと促す。国家を若者に定着させたい「君が代肯定派」も、君が代の音楽性を批判する「君が代否定派」も、この「普通にいい曲」をどう扱ってよいかわからなくなる。忌野の場合と違って、ピチカート・ファイブの君が代が全く政治的な問題にならなかったのはそのためなのだろう。
増田聡著「聴衆をつくる―音楽批評の解体文法」「第6章 記号としての『ニッポン』(p147〜p149)」より引用


Amazon.co.jpの「さ・え・らジャポン」のページで小西版「君が代」を試聴できます。

 このバカラック風「君が代」を聴いた時の痛快さは確かに忘れ難い。しかし、そのバカラック風アレンジ版「君が代」が衝撃的なのは、国歌としての「君が代」をめぐる政治的文脈が存在しているが故にである。時を経て、改めて国歌が問われるような政治的状況において、ただの音楽として還元された小西の「君が代」が、その新たな政治的文脈において恣意的に利用されるかも知れない、という危惧はある。
 そう考えると、清志郎というパーソナリティが刻印された「君が代」は、それがただの音楽としては還元出来ないからこそ「改めて国歌が問われるような政治的状況」に対しても常にその状況に対して違和感を与え続けるだろう。さらに、発表当時の否定的ニュアンスが脱色されて、ただ“清志郎の歌った曲”としてカウントされた時にこそ「君が代」はただの音楽としての自由を獲得するのかもしれない。
 どちらがどうだというつもりはない。言ってしまえば俺は小西のやり方により強いシンパシーを感じる人間である(“センス良さげ”なものには目が無いのである)。
 やはりロックは言葉=思想によって成立するのだ、と思わざるを得ない。俺にとっては清志郎も小西も非常に「ロック」なのである。たとえ曲自体がインストであっても、聴く側がそこに「ロック」を感じるのは、純音楽的な文脈以上に、言葉=思想的な文脈によるはずである。そして、