日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

ロマンティックって、わかるかい

リラのホテル

リラのホテル


久しぶりにかしぶち哲郎「リラのホテル」を聴いている。今のシステムになってからは、もしかしたら初めてかも知れない。
このアルバムをなんて紹介すればいいだろう。この人をなんて紹介すればいいのだろう。
このアルバムは…
このアルバムは、ムーンライダーズのメンバーでドラム担当のかしぶち哲郎氏のファーストフルアルバムである。初出はLPで確かキャニオンレコードより、CDはMIDIから発売された。矢野顕子氏が全面的に参加し、その他にも坂本龍一白井良明大貫妙子石川セリなども参加した名盤である。
「リラのホテル」といえば、知っている人は紛れもなく知っているあがた森魚氏の名曲である。あがた氏のファンでこの曲を知らない人は、そもそもファンとは云い難いのだが、その作詞作曲を手掛けたのが、我らがかしぶち哲郎なのである。


「男」というのは…と云ってしまいたいのだが、「男」というのは、わりにロマンティックな生き物である。
例えば恋に堕ちた「男」なら誰だって、通りがかった花屋でふと紅い薔薇の花を見かけたなら、一瞬でも「彼女に贈ろうか」と思うはずである。それがどんな不細工でも、恋の歌一つ知らない無粋であっても、そう思うのが「男」なのである。
そして、そういうロマンティックな自分に気がつかされると、羞恥心を痛く刺激されてしまうのがまた「男」というものだ。
かしぶち哲郎というのは、そういう「男」のロマンティックを体現した曲を書く、「男」のロマンティックを体現した存在なのである。
ようするにかしぶち哲郎というのは「男」にとってのロマンティックな自分自身、「薔薇の花を贈る俺」なのである。それもぎこちなさひとつなく、ひどくナチュラルに薔薇の花を贈っちゃうのであるこの人は。
信じられない。恥ずかしい。だからなかなか素直に曲として聴こうという気持ちになれなかったりするのである、わたしの場合。しかし聴いてしまうと……いいのである。
特にこのアルバムに収められた名曲「堕ちた恋」なんぞ聴くと、そのロマンティックな情景にふらふらとしてしまうのだ。

うつむいたまま 君の嘆き
ぼくは黙って聞いてる
嵐の後さ ふたりの部屋
窓辺の小鳥も逃げ出す


 街の片隅 破滅の恋
 ふたりは承知で溺れていく


どうしてつらい恋心 悲しみだけを残し
どこまで堕ちる恋なのか
愛は深くふたりにしのび寄る


窓ガラスに 君の涙
映ってビルに浮かんでる
外は夜明けの雨に泣く
僕は鏡に舌打ち


 街に流れる悲しみの河
 ふたりは承知で
 流されていく


どうしてつらい恋心 思い出だけを残し
どこまで堕ちる恋なのか
愛は熱く ふたりの胸焦がす


どうしてつらい恋心 今日もふたり抱きあう
どこまで堕ちる恋なのか
朝の光がまぶしい


どうしてつらい恋心 悲しみだけを残し
どこまで堕ちる恋なのか
今日もふたり さまよう


どうしてつらい恋心 思い出だけを残し
どこまで堕ちる恋なのか
今日もふたり 抱き合う

このどうしようもなさ、なすすべのなさ、それもこれもたぶんこの男が原因なのだろうと思わせるフレーズ「僕は鏡に舌打ち」の後に本当にこのかしぶち哲郎という男は舌打ちするのである。
この舌打ちを耳にした瞬間、わたしは眩暈を禁じえなかった。
かしぶち哲郎と云う人は、そういう胸の内に仕舞っておきたいようなロマンティックな感情をひどくナチュラルに聴かせてくれる人なのである。どうすればいいというのだ。


わたしは「男」たるもの、そう易々とかしぶち哲郎の曲が描く世界を否定出来るものではないと、そう思うのである。違うかしら。