日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

「浮世は二時間の辛抱」…仰る通りで

いまどきはやらないかも知れないが、警句・箴言というのがある。例えば「人は太陽と死を直視することは出来ない」(ラ・ロシュフコー伯爵)だとか「絶望は愚者の結論である」(ディズレーリ)だとか「最大の名誉は決して倒れない事ではない。倒れるたびに起き上がる事である」(孔子)だとかまぁ色々と。こういったものはまぁ言葉の錠剤みたいなもので、それらに共通する教訓くさいところがここしばらくは毛嫌いされているけれど、人はそれまでの人生の中で、自らを戒め奮い立たせる教訓(=経験から得られた言葉)と云うものを得ているはずだ。わたしだって今までの人生の中でその手の警句を痛いほど得ている。例えば「麻雀は洗面器の水に顔を突っ込んでいるようなものだ。先に顔を上げた者が負けだ」(桜井章一)。警句・箴言はそういった言葉の古典と考えればいいだろう。
そんな警句・箴言の名手といえるのが、亡くなられた山本夏彦翁だろう。こんな本が出た。「ひとことで言う 山本夏彦箴言集」(著:山本夏彦 発行:新潮社 価格:1,500円+TAX ASIN:4103413123)。今日のタイトル「浮世は二時間の辛抱」もそのひとつ。ちょっとその文章を引用しよう。

授賞式の祝辞も紋切り型である。あとのパーティの模擬店の馳走(?)も毎年酷似したものである。断じて飲食しない人とする人とがいる。祝賀の宴に出席する人の顔ぶれまで同じである。飲まず食わない客はあとでどこへ行こうか、二次会の相談をしている。
いま成人式の騒ぎでもめている。学級崩壊の生徒がハタチになったのである。浮世は二時間の辛抱だということを知らないからこのことがあるのである。今後ともあるだろう。
余談ながら今日私は宿痾に卓効があるという名高いハリ医に行ってハリ千本呑ーめではないが、手、足、腰に無数のハリを打ってもらってこの原稿二時間の辛抱だと書いてめでたく終わったところである。結婚式の披露宴も授賞式の祝辞も何事も辛抱だとかねがね私は思っている

寝不足で辛い仕事も、上司のつまんないギャグもお叱りも、この「浮世は二時間の辛抱である」で何とかやりおおせましたよ。二時間以上の時間は細分して。こうして今週もおいらは言葉に助けられて週末を迎えられたのである。ブラボー。さ、これからおいらは飲みに行くのさ(ほんとは呑まないけど車乗るから)街へ繰り出すのさ明日朝仕事入っちゃったけど。呑まずにいられるか負け犬人生。ではでは。