日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

つまんない奴らがのさばってる

珈琲とケーキと

と、言う訳で、pandoraはすでにアメリカ国外からのアクセスが出来なくなっている。

Dear Pandora listener,

親愛なるパンドラリスナーへ


Today we have some extremely disappointing news to share with you.
今日私たちには、あなたにとってとても悲しいニュースがあります。
Due to international licensing constraints, we are deeply, deeply sorry to say that we must begin proactively preventing access to Pandora's streaming service for most countries outside of the U.S.
国際的な認可規制のために私たちが、米国外のほとんどの国からの、パンドラのストリーミングサービスへのアクセスを規制しなくてはならなくなり、大変、大変申し訳ありません。
It is difficult to convey just how disappointing this is for us.
どれほど私たちが悲しんでいるかを伝えるのはとても難しいです。
Our vision remains to eventually make Pandora a truly global service, but for the time being, we can no longer continue as we have been.
パンドラを真の国際的なサービスにしようというビジョンは今もありますが、今しばらくは、今までのようには続けられないのです。
As a small company, the best chance we have of realizing our dream of Pandora all around the world is to grow as the licensing landscape allows.
小さな会社として、世界中にパンドラを、と私たちが抱いていた夢は、今後の許認可の展望次第となります。

ことはアメリカの著作権料委員会CRB(Copyright Royalty Board)がインターネットラジオ局に対して新しいライセンス料金を設定したところから始まる。これまでの課金は売上げの6〜12%程度だったが、新料金はチャンネルごとにまず500ドル、さらに1リスナーごとに1曲あたり0.0008ドルが課されるという内容だった。
「【コラム】シリコンバレー101 (221) 米国からインターネットラジオ局が消える日(マイコミジャーナル)」によると

1時間の放送で計算すると、1リスナーあたり1.28セント程度のコストとなる。インターネットラジオ局の広告収入予測である1時間あたり1.1〜1.2セント/リスナーを上回ってしまうのだ。しかも使用料率は段階的に引き上げられ、2010年には1曲 = 0.0019ドル/リスナーになる。(中略)例えばサンフランシスコのガレージ・ネットラジオ局SomaFMの場合、2006年に20万ドルの売上に対して2万2,000ドルを使用ライセンスとして支払った。これを新料金で計算すると支払額が60万ドルになってしまうそうだ。広告収入のシステムが整っている大手ラジオ局は生き残れるかもしれないが、地方ラジオ局のネット版や個人ラジオ局など小規模なネットラジオは運営が難しくなる。

当然のようにインターネットラジオ局はおろか、National Public Radio(NPR)のほか、Yahoo!Time Warner傘下のAOLといった大手オンラインサイトも参加する公共放送局と民間放送局からなる広範な団体がこの決定に反対をしたのだが、CRBはこの申し立てを拒否、さらに5月15日という新著作権料支払いの期限の延長も拒否した(この経緯は「ネットラジオの著作権料、値上げ見直しを却下(ITmedia)」を参照のこと)。
仕方がないので串経由でpandoraにアクセスしてみたのだが、重すぎてフラッシュが作動しないと云う悲しい結果になってしまった。しかもこの問題はpandoraはおろか俺の愛するネットラジオLive365にも及ぼうとしている。おれはわざわざ専用ソフトを買ってまでこのサービスを楽しんでいるのに、何と云う事なのか。つまんない奴らがのさばってる、あちらもこちらも。

ギンザ ブラスワン、一枚の繪

誰もコメントしていないので、せっかくだからここで紹介しようと思う。同じはてなダイアリーid:oliveeyeさんがぽつぽつと書いているサイト「ギンザ プラスワン」のことだ。
あまりにシンプルな体裁のまま、比較的コンスタントに書いているこの方は高島黎(たかしまれい)という方で「職業欄には、自営業と書きます。いまはオーダー・シャツの仕事をしていて、社長で社員で雑用係もかねています。でも、店舗はありません。サンプル生地の郵送と外商で営業しています。職人の腕が優秀で、顧客の方々の熱烈なご指示をいただいていますが、知名度がないので、一般の方はほとんどご存知ないでしょう」とのことである。
仕事がオーダーシャツである。注文でYシャツを作るのである。昭和という時代にあった「豊かさ」というのを知っている方のようである。「粋」という言葉が生きていた時代の方のようである。今のご商売の前身が「フジヤ・マツムラ」という銀座の舶来洋品店(!)だそうで、そこに通っていたのが山口瞳とか野坂昭如とか向田邦子とか、そういう面々である。
今となっては、ある種の香ばしさを醸し出さないでもないのかも知れない。死滅した、もしくは死滅しかかっている風景を生きた方であろう。
山口瞳が書いた「フジヤ・マツムラ」の文章を引用すると、どういう店かがわかる。

 フジヤ・マツムラという店は、十五年前ぐらいまでは、なかに入るのがこわいような店だった。


 正札の金額の単位が一つ違うと言われていた。それで恥をかいた人がいる。一万四千円だと思ったカバンが十四万円であったり、さらによく見ると百四十万円であったりする。下着ひとそろい注文したら三十万円だったという話も聞いた。


 輸入された上物を、こんなものが買えないようでは日本の恥だと言って店主が仕入れてくる。従って日本で唯一つといった品があったそうだ。


 私は若いときから割合平気で入っていた。買える物ものといっては、せいぜい靴下一足である。ネクタイなんかは買えない。ネクタイ一本の値段で、デパートへ行けば、夏服の上下が出来てしまう。私は靴下一足を買い、自分ではくのがもったいなくて、たいてい誰かにプレゼントしてしまった

調べてみるとここのブログがあまりにシンプルなのは、とある別サイトのコーナーとして用意されていたからだった。そのサイトは「Olive eye オリーブアイ」という画廊で、その画廊をプロデュースしているのはあの「一枚の繪」だった。
懐かしいなぁ。
いつ購読を止めたのかは知らないが、おれが高校を卒業してからしばらくの間も、家には毎月「一枚の繪」が届けられていた。知らない方に説明すると「一枚の繪」というのは、西洋画・日本画など主に日本画家の作品を紹介する月刊誌で、紹介されている作品は買う事が出来た。
家で絵を描く人間はいなかったが(まれに父親が油絵を何枚か描いていたがその詳細は息子としては割愛したい)、両親とも絵は好きだった。今でも日曜の朝9時にはNHK教育の「日曜美術館」を見るような家である。おれもたまにはひとりで見る。実家には絵の全集は3セットあって、主に母親が買っていた。おれはその全集からモジリアニとかデュシャンとかウォーホールとかムンクとかを知った。でも最後に一番好きになったのはアンドリュー・ワイエスだった。保守的か。
「一枚の繪」で紹介される絵はほとんど風景画か静物画か人物画、裸婦画とかリアリズム中心で、どんなに頑張っても池田満寿夫だったりする。「額縁に収められ美術館に鎮座する絵など芸術ではない」*1というテーゼからすれば唾棄すべき作品ばかりで、当然中学高校のトンガっていたい俺には納得がいかず、それでも毎月届けられる「一枚の繪」は楽しみに読んでいた。臆病者め。その中でわりと好きだったのは若手だった鎮西直秀とか、大家だったらしい西村計雄だった。今でも鎮西直秀の名を思い出すと、微妙に甘酸っぱい気持ちになる。


今の四十後半から上ぐらいの世代が確かにあると感じていた「文化」というものが「ギンザ プラスワン」にも「一枚の繪」にも感じられて、あわいノスタルジーを感じずにはいられない。当人にとっては散文的であっても、観客にとって失われたものは常に美しい。

*1:所得差以外の因子のない階級しか存在しないこの国に芸術など存在しえない。フラットな視線の中に「芸術」は今や個や、その集合群の中にしか存在しない。

旭川嵐山陶芸の里ツアー

そういう「文化」の残り香を少しは知っているせいだろう、前から旭川「嵐山陶芸の里」には行ってみたかったのである。何せ“陶芸の里”である。きっと小洒落たものがあるに違いない。
旭川市民が好んでいく場所なのかどうかは知らないが、丁度イオン旭川西店を見下ろす旭岡の住宅地に、陶芸やガラス工芸、染色織物などを生業とする人達がアトリエを開き、ゆるやかにスポットを形成している。そこが「嵐山陶芸の里」である。作品を観賞する以前に、そういう雰囲気のある場所を散策したいという欲望の方が強かったのだ。何せ小洒落たものには目のないおれではある。ゴールデンウィーク後半初日、夕方の匂いがし始めた午後3時すぎ、予定は無事履行された。


アトリエや工房を擁した建物は当然のこと、一般の人の住む他の住宅も、建築雑誌にでも出てきそうなオサレなものである。ご主人がパイプをくわえて足を組み、その隣に奥さんが微笑んでソファーに並んですわった写真が家主紹介に載るような家々である。「今にも赤毛のアンが飛び出してきそう!」といういいかげんなキャプションがつきそうなカントリー風の家からは、子どものはしゃぐ声さえ聞えてきた。車庫に停められていた車はプジョーオペル。下手したらシトロエン2CVもあったのかも知れない。冬の坂道を上れないじゃないか。しかし何故ある種の陶芸家は壁に相田みつをみたいな下手な貼紙をはるのか。そんなことを口にしながら陶芸の店を中心に見てまわった。地下にリトグラフを展示している、手染めの服を売る店にも入ってみた。なかなか良いワンピースが吊るしてあって買ってあげたいぐらいだったが当然金額も良い。都合いっしょに五件ほど回ったかも知れない。その中の一件で買ったのが、上の写真の右に写っている器である。1,800円。白と青のコントラストがきれいだ。珈琲2杯分は入る。実際は湯呑み茶椀なのだろう、つるっとした感触が好ましい。大体どこの陶芸作品でもコーヒーカップは湯呑み茶椀に比べて高額だったりするから、よほど好きでないとコーヒーカップは買わないのである。アトリエを出て歩いていると、とある家の前の歩道に沢山のビー玉が埋め込まれていた。ビー玉…? これはアートなのだろうか芸術なのだろうか。って、そんなに笑わなくてもいいじゃないか、と咎めても後の祭りである、こちらも笑うしかない。楽しんでくれたならそれでいいんだ。散策のあと移転した沙羅茶館で珈琲とチーズケーキを食し、旭川駅前のアニメートで「人狼」のサウンドトラックを探したがこれはなし。ここから後は「後顧の憂いなく酒を飲むツアー」に移行して、昔の旅館を改装したような居酒屋「旅篭」で日本酒とウマーな肴、次にラスタカラーの似合うロック・バー(名前は忘れた。何故かThe WarのCDをくれた。ありがとう!)でバーボンをロックで大酩酊。申し訳ない。とても楽しかった。きっと今日の事は忘れないだろう。ホテルについた時にはメールにも気づかないほどあっという間に眠りに落ちた。


写真の、珈琲の横にあるのは神楽岡公園そばにある"The Sun蔵人"の白珈琲とかいう、ようはティラミスである。確かに美味しい。
東京や札幌に慣れた人にはただの田舎なんだろうが、網走管内の田舎に育ったおれにとって旭川は十分都会だ。今まで以上に好きになりそうである旭川。また行きましょう。