日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

ギンザ ブラスワン、一枚の繪

誰もコメントしていないので、せっかくだからここで紹介しようと思う。同じはてなダイアリーid:oliveeyeさんがぽつぽつと書いているサイト「ギンザ プラスワン」のことだ。
あまりにシンプルな体裁のまま、比較的コンスタントに書いているこの方は高島黎(たかしまれい)という方で「職業欄には、自営業と書きます。いまはオーダー・シャツの仕事をしていて、社長で社員で雑用係もかねています。でも、店舗はありません。サンプル生地の郵送と外商で営業しています。職人の腕が優秀で、顧客の方々の熱烈なご指示をいただいていますが、知名度がないので、一般の方はほとんどご存知ないでしょう」とのことである。
仕事がオーダーシャツである。注文でYシャツを作るのである。昭和という時代にあった「豊かさ」というのを知っている方のようである。「粋」という言葉が生きていた時代の方のようである。今のご商売の前身が「フジヤ・マツムラ」という銀座の舶来洋品店(!)だそうで、そこに通っていたのが山口瞳とか野坂昭如とか向田邦子とか、そういう面々である。
今となっては、ある種の香ばしさを醸し出さないでもないのかも知れない。死滅した、もしくは死滅しかかっている風景を生きた方であろう。
山口瞳が書いた「フジヤ・マツムラ」の文章を引用すると、どういう店かがわかる。

 フジヤ・マツムラという店は、十五年前ぐらいまでは、なかに入るのがこわいような店だった。


 正札の金額の単位が一つ違うと言われていた。それで恥をかいた人がいる。一万四千円だと思ったカバンが十四万円であったり、さらによく見ると百四十万円であったりする。下着ひとそろい注文したら三十万円だったという話も聞いた。


 輸入された上物を、こんなものが買えないようでは日本の恥だと言って店主が仕入れてくる。従って日本で唯一つといった品があったそうだ。


 私は若いときから割合平気で入っていた。買える物ものといっては、せいぜい靴下一足である。ネクタイなんかは買えない。ネクタイ一本の値段で、デパートへ行けば、夏服の上下が出来てしまう。私は靴下一足を買い、自分ではくのがもったいなくて、たいてい誰かにプレゼントしてしまった

調べてみるとここのブログがあまりにシンプルなのは、とある別サイトのコーナーとして用意されていたからだった。そのサイトは「Olive eye オリーブアイ」という画廊で、その画廊をプロデュースしているのはあの「一枚の繪」だった。
懐かしいなぁ。
いつ購読を止めたのかは知らないが、おれが高校を卒業してからしばらくの間も、家には毎月「一枚の繪」が届けられていた。知らない方に説明すると「一枚の繪」というのは、西洋画・日本画など主に日本画家の作品を紹介する月刊誌で、紹介されている作品は買う事が出来た。
家で絵を描く人間はいなかったが(まれに父親が油絵を何枚か描いていたがその詳細は息子としては割愛したい)、両親とも絵は好きだった。今でも日曜の朝9時にはNHK教育の「日曜美術館」を見るような家である。おれもたまにはひとりで見る。実家には絵の全集は3セットあって、主に母親が買っていた。おれはその全集からモジリアニとかデュシャンとかウォーホールとかムンクとかを知った。でも最後に一番好きになったのはアンドリュー・ワイエスだった。保守的か。
「一枚の繪」で紹介される絵はほとんど風景画か静物画か人物画、裸婦画とかリアリズム中心で、どんなに頑張っても池田満寿夫だったりする。「額縁に収められ美術館に鎮座する絵など芸術ではない」*1というテーゼからすれば唾棄すべき作品ばかりで、当然中学高校のトンガっていたい俺には納得がいかず、それでも毎月届けられる「一枚の繪」は楽しみに読んでいた。臆病者め。その中でわりと好きだったのは若手だった鎮西直秀とか、大家だったらしい西村計雄だった。今でも鎮西直秀の名を思い出すと、微妙に甘酸っぱい気持ちになる。


今の四十後半から上ぐらいの世代が確かにあると感じていた「文化」というものが「ギンザ プラスワン」にも「一枚の繪」にも感じられて、あわいノスタルジーを感じずにはいられない。当人にとっては散文的であっても、観客にとって失われたものは常に美しい。

*1:所得差以外の因子のない階級しか存在しないこの国に芸術など存在しえない。フラットな視線の中に「芸術」は今や個や、その集合群の中にしか存在しない。