日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

それとも、私も献花せねばならないのか

 finalvent 氏のエントリー「そこに神社が建つだろう」を読んで思い出したことを書く。
 北見市郊外の道道7号線を常呂へ向かう途中、数多くの「花」が巻きついた電信柱が立っている。*1
 たぶんこの電信柱のそばで、交通事故死があったのだ。この「花」を見たことのある人なら、誰もがそう思う。この道路には歩道がなくて、路側からすぐに段差があるから、献花する場所がない。事故現場だろう電信柱のたもとに献花しても目につかない。だから、こんな風に電信柱に「花」が飾られているのだ。
 死者の霊を慰めようという人たちの気持ちに棹さすつもりはないのだが、私はこの「花」が禍々しくて好きではない(好きとか嫌いとか、そういう風に言っていいものなのか、躊躇してしまうのだが)。たぶん、その「花」が色鮮やかで数も多いからだろう。車を停め、その「花」のそばにいくと、がさがさっ、と動き出すのではないか。この電信柱を通る度に、そんな気持ちにさせられる。
 いつから、誰がこんな風に花を飾ったのか、もちろん知る故もない。そしていつまでこうしているのか、もちろんそれもわからない。もしかしたら、これから先もずっと、「こいつ」はここでこうして生き続けていくのではないか、そんな風にも思えてくる。死の床へと就くのを拒まれ、成仏できないままに。