日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

昭和88年夏の敗戦

 去年の4月から毎週日曜日の午前中までに更新して来ましたが、ついに今日はこんな夕方の更新になってしまいました。夕方なのにまだ暑いです。シャワーを浴びても汗が噴き出てきます。あまりの部屋の汚れに掃除をせねばと思うのですが、あまりの汚なさに意志が折れてしまいそうです。いま少し、頑張ります。本当にひどいんです。誰に謝る訳でもないけれど、ごめんなさい。
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい
 暑い夏といえば、井上陽水のこれ。

何のことだかわからないなこれじゃあ

 わが町の人口の半分ぐらいの人たちが「ここはあえて、各自100キロを走ってみようじゃありませんか」と申し合わせて全国からわが町に集結し、午前五時の号令を合図に一路南下する、というイベントがありまして、こんなブログ書いている場合じゃないのです。大会自体も私自身も、何事もなく無事終了することを祈念しています。ではまた。
 ところでレコーディングダイエッターにしてオタキング岡田斗司夫氏、リバウンドしちゃったんですね。いやはや、難しいものです。

iGoogleのかわりに自作ポータルサイトに移行したよ

 自分専用のホームページサービスとして重宝していた "iGoogle" が今年11月1日で終了しますとアナウンスされたのが去年のこと、ぼくもSafariのホームページはずっと iGoogle にしていたので、Googleによる死亡宣告にはちょっと困ってしまった。ぼくと同じように困っている方ももちろん多く、例えばまとめサイトNAVERにも既に「iGoogleがサービス終了、代替サービスまとめ」なんて記事がアップされている。ぼくもそんな記事に紹介されているサイト、たとえばフランスの "NetVibes""まとみ"なんかいじってみたりしたが、結局 iGoogle から乗り換えるまでには至らなかった。慣れの問題かも知れないけど。
 色々思案した結果、はたと思いついたアイデアがあった。そしてその結果がこれ。

 ハイ、Googleサイトを使ってポータルサイトを自作したんです。Googleなので、iGoogleで使われているガジェットがこちらでも(全部ではないかも知れないが)使えるのが素晴らしい。ご覧のとおりgmailgoogle news、検索窓とはてなブックマークだけのシンプル極まりないページなんだけど、とりあえず使えています。正直この程度のシンプルなもので十分だったりするのだ、あと出来ればGoogle calendarがきれいに表示されるガジェットがあればいうことない。googleのアカウントを持っている人なら、30分もあれば完成しますよ。

この淋しい国で生き残るために

 たとえば2ちゃんねるまとめサイト、そしてもちろん(スレにもよるが)本家2ちゃんねるも、なるべく見ないようにしている。見ればコメント欄にあふれる罵詈雑言に心が折れそうになるからだ。「顔も素性もわからないからって、よくまぁここまで悪し様に書けるわ」と、暗澹たる気持ちになる。現代を生きる人として弱すぎる、とか言わないで下さい。
「こういう書き込みをするような奴は、自分とは別の人間だから出来るんだよな」と決めつければ精神的には安定するだろうが「私は人間である。こと人間に関するかぎり自分に無縁なものはないと思われる」という言葉がぼくは好きだ。その程度には他人を理解しようという姿勢は持っていたい。
 思うにぼくたちが日常的に遭遇するトラブルのほとんどは、言葉づかい、言い方を変えるだけで相当少なくなる。なので、素性がわからないからと罵詈雑言ばかりのやり取りをしていたら、見ず知らずの他人には冷酷であってよい、という気分に侵されないだろうか。それとも「人はそもそも他者に対して冷酷なのだ」と言う共通認識で日常生活万事オッケーなのかなみんな。
 よくチェックしているサイト "DDN Japan" で紹介されていたドキュメンタリー映像を、今朝は紹介させて下さい。この文章を読んでいるあなたに、もし一時間弱ほど時間があれば、ぜひご覧いただければと願います。もし可能なら家族でご覧になられてもいいんじゃないかな、と思います。
自殺者1万人を救う戦い "Saving 10,000 - Winning a War on Suicide in Japan"

 内容の紹介は控えておきます。もし見ていただければ、何故アイルランドの映像作家が、異国である日本の自殺について映像を作ったのか、そして終盤に紹介される東尋坊の元警察官の語りが、その怒りが、きっと理解できると思います。
 実際のところ、昨年平成24年の我が国の自殺者数は10,000人どころではない27,858人で、うるう年だった平成24年度の日数366日で27,858人を割り返すと1日平均約76人、24時間で割り返すと約3人、すなわち平成24年は「20分に1人が自ら死を選んだ年」ということになる。そしてこの年は、自殺者数が15年ぶりに3万人を下回った年だったという。
 ぼくたちの何気ない毎日の暮らしぶりが、たとえばこういう結果として現れている、ということを。

根雪よ、僕たちをめくらますその時の速さよ


彼は目を閉じて 枯れた芝生の匂い 深く吸った
長いリーグ戦 しめくくるキックは ゴールをそれた
肩を落として 土をはらった
ゆるやかな 2月の黄昏に
彼はもう二度と かぐことのない風 深く吸った
何をゴールに決めて 何を犠牲にしたの 誰も知らず
歓声よりも長く 興奮よりも速く
走ろうとしていたあなたを 少しでもわかりたいから
人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ
同じゼッケン 誰かがつけて
また次のシーズンを かけてゆく
人々がみんなあなたを忘れても ここにいるわ
何をゴールに決めて 何を犠牲にしたの 誰も知らず
歓声よりも長く 興奮よりも速く
走ろうとしていたあなたを 少しでもわかりたいから…
麗美ノーサイド』作詞作曲:松任谷由美 編曲:松任谷正隆

青春のリグレット」もこの「ノーサイド」も、麗美を愛した松任谷由実の曲である。彼女の歌のほとんどがそうであるように、ここに描かれているのもまた、過ぎ去ろうとする季節と、その後ろ姿を見るまなざしである。今ここにあるものが失われ、次の季節に変わっていくことを、誰も止めておくことは出来ない。そんな当たり前のことの重荷を知れば知るほど、過去は今よりももっと輝きを帯び、歌は眠れぬ孤独にそっと毛布をかけていく。根雪よ、ぼくたちをめくらます時の速さよ。などと清水邦夫じみた文章を書くのは書く当人としては気持ちいいが、読む側にすればナンノコッチャである。朝からメランコリじみているのは、疲れている証拠かしら。
 で、同じ松任谷由実の曲で、ぼくもその大仰なアレンジで大好きな「翳りゆく部屋」を、あのエレカシが歌っている映像を見つけてしまった。最初は正直どうかなと思っていたけどだんだんと引きづりこまれ、最後の最後に歌う「どんな運命が愛を遠ざけたの」に何もかもがすべて持っていかれて涙で前が見えない。今さらながら宮本の声は「ズルい」と思う。過ぎていった者達を思い出して、泣きなさい。

君はやさしい人だね

 昨日も今朝も快晴で、それはもちろん、悪いことではない。ただ昨日の午後、舞台準備にいそしむステージの搬入口から晴れ渡った空を見たときに、こう思ったのだ。これはいったいどういうことだ。つい先週までストーブをつけた朝があったことや、ぐずぐずと冬の匂いが続いていた一連の五月の日々、そしてまだ、払いきれない重税のごとく積もっていた雪、雪、雪たち。そんな景色や時間、季節の表情は、この晴れ渡った6月の空の駐車場にはどこにもない。これはいったいどういうことだ、いったいどこへ消えてしまったのか。
「馬鹿ねあなた、何を言ってるの」と優しい人ならそう言って、くれそうな気がする。

この曲を聞くとギッチョンを思い出す。色んな曲を聞いたね。

 カーテンを閉じない窓からの陽射しで目覚めた午前五時、前日までの疲れを取り戻すことは出来ず、二度寝の海にもぐりこんだ。そして午前七時前の朝の光が、二度寝のめざめがもたらすもったりとした後悔の念を、夏の日の雲の影のように、くっきりと浮かび上がらせた。そんな心の描線がたわむれに描いたのは、麗美が歌う名曲「青春のリグレット」でした。

 この、思い切り80年代なアレンジはぼくの好みではない。何だか当時はこんな音づくりの曲があふれていたような気がする。Youtubeが映しだした信号待ちの映像は、もしかすると80年代の東京の街角かも知れない、女性の服装が古臭く見える。この曲もこの風景も今はもうない。歌詞もまた失っていく人の後ろ姿を描いている。そんなことを想起する内に胸が痛くなって、音楽を止めた。