荒井由実によせて
デビュー当時だろうか、やけにおしゃまな格好の荒井由実の映像をYoutubeで見つけた。バックの演奏はなんとティン・パン・アレイである。
雨の街を 作詩作曲:荒井由実
夜明けの雨はミルク色 静かな街に
ささやきながら降りて来る 妖精たちよ
誰か やさしく わたしの肩を抱いてくれたら
どこまでも遠いところへ 歩いてゆけそう
音だけ聴くと一瞬だけ古いジョニ・ミッチェルかとも思えた。けれど歌詞は、冷めかけのホット・ミルクのような、少女の甘やかなつぶやき。その昔、どこかの少女が白紙のノートの何ページ目かに書いたような。
この曲が70年代に作られたのかと考えると、当時の荒井由実が如何に突き抜けた存在だったのかがよくわかる。日常生活から幻想へのなだからな移動をこんな風に描写出来る存在は、この当時としてはかなり異端と言っていいんじゃないだろうか。
ぼくが荒井由実の存在をちゃんと知ったのは、もう70年代を越えた高校の頃だったと思う。所属していた演劇部女子の先輩方はほとんど荒井由実、当時なら松任谷由実の曲に、多大なるシンパシーを抱いていたようだった。その頃、日曜日夜11時から、ニッポン放送で「全日空ミュージックスカイホリデー」という1時間番組があり、楽しみによく聴いていた。よく女性の失恋話がはがきで送られて、パーソナリティの滝良子さんは、そんな時にもユーミンの曲をよくかけてくれた。「卒業写真」「あの日に帰りたい」「中央フリーウェー(この曲はハイ・ファイ・セットで聴いたかも知れない)」「いちご白書をもう一度(当然バンバンである)」「翳りゆく部屋」そして「埠頭を渡る風」。大人の女性というのはこういうものなのだろうな、と思いながら、遠い東京と遠い年上の女性へのあこがれとともに聴いていた。
今の彼女はぼくらぐらいの世代には、80年代バブルとともに歩いた女、という印象が強い。確か当時浅羽通明も80年代を評する文章のサブタイトルに「みんなユーミンになってしまった」と書いていた。
しかしそれも、もう終った事だ。すべては脱色して、ただ白紙の者にのみ音は何の注釈もなく届けられるだろう。
白紙のページにポエムを書いた少女も、たぶん50代40代を迎えているはずだ。そのことを考えると、少しだけ、哀しくなる。彼女は結局遠くまで歩いてゆけたのだろうか(行けまい。行けないから夢を見たのだ)。白紙から立ち上る思いはどこへいったのだろう。最後のピアノの一音のように、立ち消えてしまったのか。それとも今も、高校当時のままに残された部屋の天井にでも、漂っているのか。
…まあ無駄に哀しくなってもしょうがない。まだ生きていくしかないのだ。
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