日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

「はてなブックマーク」にエントリーされた

hirofmix2006-05-29

このヒロクロが利用している「はてな」には、ネット上の気になったサイトやamazon.co.jpの商品なんかをIEの「お気に入り」を作るように登録できる「はてなブックマーク」というサービスがある。この「はてなブックマーク」で数多くの人(=はてなユーザ)が登録=ブックマークされているサイトが“旬”のサイトだったりする訳で、その人気サイトの一覧も「最近の人気エントリー」としてRSS配信によって知ることができる。
…で、非常に前振りが長くなってしまったが(たぶんヒロクロをよく見ていただいてる人は「はてなブックマーク」を知らないと思うので)、ようするに何のネタ振りかといえば、昨日つらつらと書いた「何かが失われていく」に、現段階で19人ものはてなユーザがブックマークしてくれたということなのだ。おめでとうぱちぱち、ありがとうぱちぱち。っていうか「おめでとう」「ありがとう」という会話が成り立つような事でもないのだけど。もっと人気のあるサイトは登録数が一桁違うし。
とはいえ、いつものようにささやかに書き込んた駄文に何人かの人たちが興味を示してくれたというのは単純に嬉しい。どんな文章でも書かれた以上は「読者」を求めているという。その意味で先の文章は恵まれた生を得られたということになる。親としても誇り高い。


登録してくれた人たちの何人かが残してくれたコメントを読むと「昔もこーゆう輩はいたよな」という至極当然な意見がいくつかあった。手のひら返すように思われるかも知れないし、あの映像を見た時にはあやうくも「昔はこんなはずじゃなかった」と思った事をここに告白するんだが、確かに昔の俺が目のあたりにしたことはないにせよ、こーゆう傍若無人な若者は昔にだっていただろう。何なら傍若無人な大人なら昔も今もいっぱいいる。
俺としてはあの映像を見て、その無力感を自分自身の問題として考えたつもりだった。
自分自身というか、自分と自分の周囲の問題として、身近にもあるかもしれない問題として置き換えて考えたつもりだ。
どんな事象・現象でも、その事象・現象を起こした主体自身、そしてその主体を取り囲む地域、もっと大きな範疇だと世界という要因とが、重なり合って成立しているだろう。俺の考えすぎかも知れないけれど、あーゆーのをメディアを通じて知ってしまうと、主体たる若者個々、またはそういった集団の「たたずまい」が実感出来ないから、いきおい「若者一般」として捉えかねないし「何故その地域が選ばれて映されているのか」という理由を、目撃したようには実感できないから、これまた「地域」という個別性をぶっ飛ばして「世界」へ、ありていに言えば「現代日本」へと話は「問題」へとスライドしていきかねないのだ。その行き着く先は「これだから今の日本はなってないんだ」「ああゆう無軌道な若者はやっぱり何とかしななきゃならん」という、あなたまかせな怒りである。折りしも教育基本法改正も論議されているではないか。「愛国心」を養う教育はやはり必要だろう、などという“漠然としながらもほとんど改変不可の決定事項”として短絡的な脳に刷り込まれてしまうのだ。ああいやだいやだ。


俺のいま住んでいる町は人口五千そこそこの田舎だし、周囲もそんな町ばっかりなので、やはりまだ「世間の目」というのが生きている。だからあーいった行動は今のところ見聞きしていない。でも「世間の目」の実質なんか都会も田舎もないに等しいから、もし彼ら彼女らのような集団が悪夢のように河川敷に現れて、人目もはばからず騒ぎ立てたりしたなら、居合わせた俺も誰も何も言えないまま「あんなやつ等、テレビで全国のさらし者になればいいのに」とうつむいてカメラマンを待望するのじゃないか。
そーゆー風な自分が限りなく嫌だし、その時そーゆー自分を目の当たりにする可能性はあまりにも高い、という話なのである。


「この世界を変えるのは、結局いま自分の目の前にいる人を大切にすること」だと信じております。
それを実践していくのは容易ではないでしょうが……
エントリーしていただいた皆さまへのお返事として。
(photo by "Old Sarge")