日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

days in Sapporo/epilogue

到着した金曜日午後から本番の日曜日まで、夜遅くまでかかると予定されていた札幌での予定はすべて夕方には片づいた。土曜日にはお昼近くまで自由時間となった。金曜日にはポールズ・カフェやジャンクという行きつけで酒も飲めたし、土曜日には会えないと思っていた友達とも会えた。集まった友達といっしょに写した携帯電話の写真を、メールにして小雨嬢にも送った。
やっぱり、札幌が好きなんだな、と思う。離れているからなおのこと…とはわかっているつもりだが、例えば夕方近くの街並みを歩いていると、もう二十年前の自分が暮らした記憶など失われているこの街なのに「我が街」という気持ちになってくる。帰ってきたな、という気持ちになってくる。
俺にはアメリアという横浜好きの友達がいて、横浜への思いの深さには頭を垂れるしかないのだが、もし許されるのなら、彼にとっての横浜が、俺にとっての札幌なのだとやはり言いたい。札幌に暮らす人には笑われるかも知れないけれど。例えば、昔書いた、こんな言葉で。

…豊平に住むいとこの家から見下ろした、見わたすかぎりに続く住宅や、深夜ひとりで聞きつづけたHBCやSTVラジオ、十八の時はじめて見たセブンイレブンや、深夜カブに乗りながら見上げた満月、そして金森コーポでの日々…他人から見れば、どこにでもあるちっぽけな「思い出」かもしれないけれど、そんな「思い出」がわたしにとっての札幌という「街」を今もかたち作っている。
たとえこれから、札幌にわたしのもどる場所などずっとずっとないのだとしても、たとえば陽射しをさけた朝の喫茶店に、たとえば窓のないラブホテルの一室に、たとえば深夜たったひとつ灯る窓あかりの内に、そしてたとえば目覚めたばかりの朝日が照らす無人の屋上に……わたしはそんな札幌の、そんなありふれた景色の中に今もいると実感できる。まだわたしの「たましひ」は札幌に住みついているのだから……

時を、川の流れに喩える事は多い。けれども記憶は地層のように積み重なる。そして札幌もまた。