日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

人生に意味はない、君の思うような意味は

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

自虐の詩 (下) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

自虐の詩 (下) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

「全ての人がこの作品に早く出会えますように。それだけ願っています」
帯の惹句には“わんだーらんどなんば店”の羽根田さんとかいう人が、そうコメントを寄せている。上下二巻を読み終え泣きじゃくりながらそのコメントを読み返すと、確かにそうとしか云えないし云いたくない、という気持ちにさせられまた思い出し泣きをしてしまう。「まずは読め、話はそれからだ」という傑作である。怪作、とさえ云いたくなる。
四コママンガで画筆の優れている、というのはほとんど形容矛盾だが、何より絵に力があることを力説したい。上下巻を読み通すと、ストーリーが膨らむ(そもそも四コママンガでストーリーが膨らむというのも形容矛盾みたいなものだが)のにあわせてみるみる画力が上がっていることがよくわかる。特にぐうたら亭主イサオが不憫な妻幸江にベタボレしていた若い頃の、足の裏を顔に押し付けられながらも「あなたのすべて」と幸江に答えるイサオ、その絵の上手さたるや尋常ではない。一途さと情けなさ、恋に生きる男が思い起こさせる相反する感情全てを含んだ上での男の格好良さ、それを表現しきった絵を見て、俺は瞬間ゲーンズブールを理解した気さえした。あの、常識人の理解範囲から云えば、ジェーン・バーキンほか数々の女性に愛されたとは到底思えないセルジュ。
最後に付け加えておくと、幸江のことを「閉じている」と評する発言がネット上に多かったが、あれを閉じていると云うのなら、人生の諸先輩方の多くはどのような形であれ「閉じている」ことになるだろう。結局“信じる”という行為なしに人は生きる事は出来ないと、そう云っているのだ。
自らの人生を肯定するのに支払う額は、いつだってコストパフォーマンスが悪い。しかし生きていくには払わない訳にはいかない。幸江は多くの代償を支払い、そして、糧を得たのだ。それだけでも了とすべきである。