日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

羽田ー浜松町 せんちめんたる・じゃーにー(耳をすます暮らし)

センチメンタル通り

センチメンタル通り

画用紙にこぼれた白の絵の具のように、ただそれだけでは見えてこない。そこに何か、何でもいいから色を流し込まないと「日本」は見えてこないのだ、僕たちにとって母国は。

空は未だ群青色の朝 外はそぼ降る鈍色の雨
窓にこびりついた残り顔流し 牛乳瓶に注ぎ込む
朝よ


惚れられ惚れて早一年経って 若さと馬鹿さ、空転りするさ
ヒールが七糎のブーツをはいて 僕を踏み潰して出ていった
朝よ


塀の上で 塀の上で
僕は雨に流れみてただけさ


誘導灯が秋波くれて 広告塔も空に投げキッス
羽田から飛行機でロンドンへ 僕の嘆きをもってお嫁に行くんだね
今日は


塀の上で 塀の上で
僕は雨に流れみてただけさ


塀の上で 塀の上で


僕は雨に流れみてただけさ


「塀の上で」作詞作曲:鈴木慶一

二十歳近くの頃には、大学受験で一ヶ月近くも住んでいたのに、東京に来るといつだって悲しい気持ちに襲われるのは、何故だろう。最後に東京へ行ったのはいつだったのか、確か秋葉原の駅の壁に「ちゆ」のイラストが貼ってあった頃で、それが最後だ。


以前の職場で、もうそれは十年以上前のことなのだけど、千歳発の最終便で羽田空港に降り立ったことがある。三百人近い団体行動だったので、天王洲アイルまでを観光バスで、たぶん高速羽田線を移動したと思うのだけど、その時に見た工場地帯のネオンサインが、今も忘れられない。あれほど「悲しい」景色はなかった。


たぶんその悲しさは、東京と云う土地のとりとめもない広さによるのじゃなかったのだろうかと思う。自分の居場所のなさ、とでも言おうか。
誰かが、誰かを求めようとすることは、とても悲しいことだ。今も、誰かが誰かを求めているんだと想像すると、悲しくて泣きたくなってくる。
丸まって眠る猫のように、いつもひとりっきりでいられたらいいのに。