日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

独り者の椅子

独身者の椅子

最近仕事の流れが一段落したせいか、わりと早めに帰宅出来るのがかなり嬉しいhirofmixです。でもまぁお盆開けぐらいから小忙しくはなるのだけどね。それでも早めに帰宅した後一息ついて夕食を食べ、洗濯をしながら皿洗い、最後にぬるめの風呂に浸かって昔読んだオーディオ雑誌を漫然と読む。というのはやはり日常生活の中のしあわせの一つと言っていい。


台所の側に安物の椅子があって、以前は書斎(というほどでもないが)に置かれたり、使い道を失って押入れに仕舞われたりと行き場がなかったのだけど、やっと台所という定位置を得てすでに長い。
部屋のあかりを消して、その椅子に腰掛けて煙草を吸ったり珈琲を飲んだり、読みかけの雑誌をめくるひと時がうれしい。


思えばしあわせは小さなものになったな、と思う。
もう何を思い描いていたのか思い出せないけれども、まだ年若い頃の自分にとってしあわせなんて漠然としていて、けれども途方もなく大きかった気がする。一年三百六十五日毎日笑っているような、ありえないようなしあわせ。
今の自分にとってのしあわせは……手のひらの上にのせた小さなロウソクの灯、といったところだろうか。確かな感触と、すぐにでも消えてしまいそうな儚さと。