日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

三年日記を書いていない

ついに「三年日記」というものを今月頭に買ったのである、ついに。ついに、というぐらいだから、買うまでの熟成期間は結構長かったのである。いつか、いつか買おう、いつかは書こう、ほら高橋書店に注文しよう、これなら結構いいじゃないか、前から欲しかったじゃないか三年日記。実はもう一年ぐらい買おうか買うまいかと逡巡していたのだ。
で、ついに買いました。
で、ちゃんと書いているかと云えば、買ったその日以降書いていないのである。駄目である。駄目だなぁ。
こうしてネットに繋いでいる深夜に、いつもその一日しか書いていない日記を思い出す。すでにその頃には眠気が訪れている。
 
ここ二年ぐらい、過ぎていく年月がいたましく思えるようになった。残酷なほど事実なのだが、実は今日という日はもう二度と帰ってこないのである。歳を重ねている証拠である。
それで一年ぐらい前から、日記を書くようになった。書き続けている内に「その日一日のことなんか書き切れないよな」と思うようになった。だから11月12月なんてほとんど真っ白だったりした。辛い事があった日なんて書くのが嫌だった。実際書いてない。そーゆうことじゃ駄目じゃないか。
でも、まあ、きっと書きますよ。書かなくとも「書きたいなぁ」と思えているのが大事な気がする。
 
とりとめがない。