ベリ・ナイス、ベリ・ナイス、ベリ・ナイス
その銀行のソファには主とも言うべき老人が住んでいた。
老人は91歳で、37年間一日も休まず銀行に通いつづけていた。
「夢のような人生でした」とテレビを見ながら老人は言った。
老人はわたしのようなテレビの見方をしなかった。
老人のテレビの見方は他のだれとも全然ちがっていた。
老人は役者たちがわめいていたり、パンティをおろしたり、会社乗っ取りを企む総会屋たちと戦争責任のなすりあいをしているテレビの画面に向かって話しかけるのだ。
「もう止めなさい」
前のドラマで義理の娘を犯し、実はその娘の行方不明の兄であったことが最終回で判る東洋フェザー級8位のボーイフレンドに、散弾銃で撃ち殺されたのんだくれの悪徳弁護士は新しいドラマでは旧制高校時代の同性愛体験の悪夢に悩む少壮の脳神経外科医として登場し、かたっぱしから他人の頭を切開しはじめた。
「もう止めなさい」
(高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」22ページ)
家に帰りついて、買ってきたコンビニ弁当を食べようと、食事時と出勤前の時計代わりぐらいにしか見ないテレビのスイッチを入れると、山瀬まみが「お父さんのためのワイドショー講座」をやっていて、今週は「森昌子の緊急入院」が放送時間ナンバーワンだと教えてくれた。マネージャーに抱きかかえられながら入院先から帰宅した森昌子が玄関へ入ろうとするその後ろ姿に取材記者だろう男が声をかけた。「森昌子さん、心配しているファンのためにこちらに向かって手を振って下さい」。この様子を小さなテレビモニタで観察した更年期障害に詳しい女医は心配そうに森昌子の病状を説明してくれた。山瀬まみは今後の森昌子のコンサート日程を紹介してくれた。
テレビなんかもう二度と見るものかと再確認するのに十分だった。