日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

ラヂオという窓を開いて

別に恋人や結婚に限らず、自分の世界に新しい空気を吹き込むのは、自分の世界が出来上がっていればいるほど難しい。いや実際にはそれほど強固に「自分の世界」とやらが出来上がっているのかどうか怪しいところだが、自分としては強固なものに思えたりする。
例えば音楽でもそうだろう。自分の好きな音楽があり音楽ジャンルがあり、それなりに関連知識があったりすると、それ以外の音に対して臆病になる。なるのだけど、是非ともそうであってほしくないと、こればかりは本当にそう思う。ある音楽なら音楽に対して自分なりのヒエラルキーを作るのは、耳を肥やすために必要な作業なのだけど、そのヒエラルキーが自分の中で強固なものになりすぎると、えてして教条的になりがちだ。
唐突に素敵な音楽を届けてくれるラヂオっていうのは、そういった殻を突き崩す効果があるんじゃないかなと思う。テレビじゃ駄目なんだよね、こういった唐突感を生み出すのに映像は邪魔だから。