日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

おいしい水と教訓

浄水器の"BRITA"を通した水を飲むようになって半月たった。それで味が良くなったのかと云われれば、確かに良くなったと思う。今さっき"BRITA"の水を飲んだ後に水道水を飲み比べたのだけど、水道水の方は、最後の一口にやや"えぐみ"が感じられた。"BRITA"を通した水はまろくて、最後の一口までするっと喉を通っていく。田舎の水道水でこれだけ変わるのなら、都市部の水道水を"BRITA"で濾過したら、確かに味が激変するのかも知れない。俺の味覚は多分鈍いから(煙草を吸っている故)、もしかするとこの違いはプラシーボ効果じゃないのかと疑えない事もないのだけど。
こんな風にして、少しずつ珈琲の味を良くしていくつもりでいる。なんであれ、ひとっ飛びに前に進む事は叶わない。自分の出来る範囲で、少しずつ前に進んでいくしかない。
きっともっと若い頃なら、そんなこと、まどろっこしくて、やってられなかっただろう。どことなく、不甲斐ない自分への言い訳にも思えるし。今この瞬間で満足出来ないのなら、しない方がましだと、若い自分ならそう思ったのじゃないかしら。
何もしないよりは、少しでも何かした方がいい。100%の後悔より、99%の後悔を目指すべきだろう。残りの1%は希望なのだから。非常に消極的な態度ではあるけれども。