日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

スピーカーのセッティングを(また)変えた

キース・ジャレット「ザ・ケルン・コンサート」

おすすめ平均
コンサート...
背中で弾く音楽...
美しい、キースの世界...

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戦闘活動については明日から本格化の予定。今宵は前哨戦でした。ま、色々と考える事の多い体験をしています。
今週はちょっと不調で、しかも今日なんか風邪ひいたらしくって、仕事中に鼻水出て弱りました。弱りましたが No music No Life ってな感じで、愛聴盤「ザ・ケルン・コンサート」を聴きながらスピーカーセッティングを微調整しました……っていうか、調整ってほどじゃないのよ。ただ左右のスピーカーの間広げたって話だから(笑)。でもピアノの音が広がったんでとりあえず満足。
しかしまったり聴けます「ザ・ケルン・コンサート」。村上春樹が蛇蝎のごとくキース・ジャレット嫌いなのは有名な話でしょうが、その理由は、たぶん氏のこの文章なんかに現れていると思ってます。
ピンボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大ではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある」(小説「1974年のピンボール」32ページより)
「僕はね、小説書くのは自己解放だとは思わない。自己変革だと思うわけ。(中略)自己解放っていうのは、自分の感性に、頼りすぎるんじゃないかなっていう気がする。自分が他人とどう違うかということに(中略)どっちにしても、自己表現じゃない」村上龍との対談集「ウォーク・ドント・ラン」11〜12ページより)
譜面のない、一人だけでの即興演奏というものが、演奏者自身にとってどういうものなのか、そこまでの技術のないおいらにはわからないけれど「ザ・ケルン・コンサート」で聴ける音から感じられる(特に1曲目)のは、演奏者の意識の集中とその後の解放(上記の引用に沿って云えば“エゴの拡大”)という自己表現って気がする。だからって、おいらは別に問題なく聴けるのだけどね(笑)。ただおいらにとって大事なのは「自己表現」よりも「自己変革」だよな。
たぶん、今おいらがこの「ザ・ケルン・コンサート」を極上のソロ・ピアノ CD と思う以上の「何か」を、発表当時のリスナーは感じ取っていたと思う。思想も言葉も風化して、ただ音楽だけが残った……それだけの時間は流れているのだ。

ウェブのテキストが情報発信な訳、ないじゃないかなぁ(笑)? ではでは。