日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

わたしを映画に連れていかせて

映画というものは、海沿いの町の、すえたような潮の香としょんべん臭いトイレの匂いのする古びた映画館で、破れほつれた座席に身を沈めながらひとり孤独に見るものだ」などという裏返しのダンディズム(というよりスノビズム)を誇示する向きがあった五木寛之とかさ。いやよく知らんけど、何かそーいう“匂い”をそれこそ70年代ぐらいに子どもながら感じとっていた気がする。このへんの“裏返しのダンディズム=スノビズム”を今に求めるとすれば、リリー・フランキーあたりだろうか(違うかね、思いつきなんだけど。リリー・フランキーの「日本のみなさん、さようなら」はなかなか良い映画本です。確か映画「大人はわかってくれない」のポスターを模した一枚がグッド)。
こんな今どき流行らない“ロマンティック”なお膳立てを揃える奴ぁいないだろうけど、それでも上の強調部「映画というものは、ひとり孤独に見るものだ」という通念は、男性の映画好きにはまだ残っているのじゃないかしら、と思うのですがどうでしょう。
ま、映画の内容にもよりますか。確かにカップルで押井守の「Avalon」観るのもどうかと思うし(俺だよ俺悪かったよ。好きな子には気を使わないのが愛情だと思ってたのさ。ほとんど「麻雀放浪記」のドサ健だな)。でもですね、「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「I am Sam」「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」「マトリックス リローデッド」なんていう映画は、是非とも恋人と、せめて気のおけない女友達(こっち方が恋人より得がたい気が)なんかと観にいってしかるべき映画ではないだろうか。全部ひとりで観たんですがね(涙)。
さて、巷で評判を呼んでいるらしい北野武監督作品「座頭市」です。観たいですね是非とも。ラストは全員のタップダンスっていうじゃないですか。座頭市は金髪だし。今どきの感覚の“痛快娯楽時代劇”らしいんで、ちょっと心惹かれているんですけどね…またひとりで行かなきゃならないのだろうか私は。「映画というものは、ひとり孤独に見るものだ」なんてすかした科白は誘えばついて来るねーちゃんがいる男がこそ言うべき科白なんだよなまったくもって。何を怒ってるんだか。己に対してか。いつもどおりじゃねえかまったくもって。何を(以下飽きるまでリピート)

ま、人間どうせひとりですよ(言い含める)。ではでは。