日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

小林信彦「名人 志ん生、そして志ん朝」

著:小林信彦 発行:朝日新聞社(朝日選書720) 価格:1,200円+TAX
今年1月に出ていたけど書店では昨日まで目にしていなかった(すでに3刷である)。たまたま昨晩量産型ザク氏と紋別へ食事に行った時に寄った TSUTAYA の棚で見つけたのですぐさま購入した(以前マスター氏とも話したのだけど「ほしい本はすぐ買わなくてはならない」のだ。文庫でさえいつ絶版になるかわからないのだから)。内容は、去年10月になくなられた古今亭志ん朝、そしてその父親でもある名人志ん生についての単文集です。
正直申し上げまして、まぁ本人の年齢など色々理由はあるのだろうけど、あれほど小林信彦が心酔してやまなかった志ん朝の本なのだから(何せ小林は志ん朝が亡くなった時に「もう関東の(=江戸前の)落語は終わった」と断言して憚らなかったのだから)、みっちりと長文を読みたかったなというのが本音であります。
まぁ小生、生まれも育ちも植民地なものですから、江戸前だ上方だと云われましても筋の通った落語のことなぞわかりようもない素性でございますんで、この本で小林先生が「僕の落語は終わった」とおっしゃられましても何と申し上げて良いのやら「五月蠅よジイさん」って感じもしない訳じゃあ……ま、黙ってりゃあいいのですが(笑)。まあそれでも日本語を母語としてる以上、その言葉の芸に反応する因子というのは、生まれ育ちに関係なくある人にはあったりするもんじゃあないかしら、てなことを思わないでもありませんがね。まぁ確かに江戸前の言葉をしゃべる環境なぞない訳なんで、ネイティブな江戸前の言葉を話せるような落語家なんてぇのは、確かに志ん朝師匠をもって打ち止めって事なんでしょうがね。とりあえず、死ぬ前に新たに志ん朝師匠の長文書くか、さもなくば新しい小説を、みっちりした奴を書いて下さいよセンセ! っと言ったところでしょうか(笑)。
どちらにせよ、おいらには落語でさえ輸入品なのかしらね、この地にいると。