日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

被害者みたいな言い方は、もう止めにしましょう

 前にTwitterにも書いたのですが、自民党党首にして我が国の首相である安倍総理憲法改正の際によく口にされる「戦勝国アメリカによる押し付け憲法」って言い方は、格好悪いから止めた方がいいのに、とわたしなんかは思っています。
 そりゃあ、占領下で作られた憲法だもの「押し付け」に決まっていますが、押し付けのない占領軍なんてありません。これ即ち、我が国が敗れたが故の結果であります。何だか忘れられているような気がしてくるので書きますが日本はアメリカと戦争をして負けたのです。日本が一方的にアメリカに侵略された「被害者」でもあるかのように、現憲法を「押し付けられた」などと宣うのは如何なものでしょう。それとも「侵略の定義は国際的に定まっていない」が故に我が国は「被害者」なのだ、というお考えなのでしょうか。
 あの決定的な敗戦、そして軍備放棄を命令し「アジアのスイスたれ」と強制したのはアメリカであり、その舌の根も乾かぬ内に日本の共産化を恐れ再軍備を求めたのもアメリカであります。当時の政府自民党は、戦勝国アメリカのこのような無茶ぶりに応えつつ、日米安保によって軽減された軍事費を経済活動その他にあててきました。そして朝鮮戦争による特需を起爆剤として、我が国は世界も羨む経済成長を遂げました。この歴史のどこに「被害者」としての歴史があるのでしょう。
 現在の政府与党である自民党は、この歴史を担う第一の政党でありましょう(共産党には担えません)。また安倍首相は、政治家としての血筋からいっても、この「押し付けられた」憲法を冠した戦後日本の歴史を担うに相応しい方です。なればこそ、今更「押し付けられた」などとは申されず、あの決定的な敗戦からはじまった我が国の戦後の歴史、その栄光と悲惨を担われるご決意をなされ(そして公僕たるS氏は職場のデスクのまどか☆マギカのカレンダーを引き出しにでも仕舞われ)、さらなるご活躍を期待する次第であります。「李下に冠を正さず」と言います、こんなご時世迷彩服着て戦車乗ってる場合じゃないだろよ。

メラニン色素

「それがメラニン色素」「ああ…ジャガイモがこういう色になったの見たことあるわ」「中学校の実験」「美味しいわぁ、メラニン色素」「何か作る?」「十分すぎるけど」「何か食べようかな」「知ってる? 食べると太るんだよ」「腹立つ。あんたに言われたくないわ」
 静かな雨の降る夜だった。窓を開けていても雨音も聞こえない、油炒めの音の方が雨音に聞こえるような、そんな夜だった。まだ降っているのかな、とぼくは口にした。降ってるんじゃない? と彼女は言った。それからまた遅くまでおしゃべりをした。懐かしい気持ちに満たされたのを、今もおぼえている。
 The Beatlesの「Live at the BBC」はオリジナル曲カヴァー曲とも名曲の宝庫だが、これほど夜の似合う「会ったとたんにひと目惚れ(原曲はTeddy Bears)」はまだ聞いたことがない。元々邦題からは想像できないバラードソングだが、ボーカルのジョンは原曲の歌詞にあるhimをherに変え、二番目の"I'll bling love to him"を"I'll make love to her"に変更して意味合いを強めている。
 花を添えるとしたら、こんな曲を。

To know her is to love her/会ったとたんにひと目惚れ

To know, know, know her is to love, love, love her
Just to see her smile, makes my life worthwhile
To know, know, know her is to love, love, love her
And I do
 彼女を知ったとたんに恋をした
 彼女の笑顔を見た瞬間、ぼくの人生はかけがえのないものに変わった
 会ったとたんに恋をした これからも
I'll be good to her, I'll make love to her
Everyone says there'll come a day when I'll walk alongside of her
Yes, just to know her is to love, love, love her
And I do
 彼女にふさわしい人になるよ、いつか彼女と愛し合うんだ
 彼女と並んで歩けるような日が来るさ、ってみんなが言うよ
 そう、会ったとたんにひと目惚れ、ぼくはずっと
Why can't she see, how blind can she be
Someday she'll see that she was meant for me
 どうして彼女にはわからないのだろう、どんなに盲目なんだろう
 いつの日か彼女も知るだろう、ぼくにとって彼女がどんな意味を持つのかね
To know, know, know her is to love, love, love her
Just to see her smile, makes my life worthwhile
To know, know, know her is to love, love, love her
And I do
 彼女を知ったとたんに恋をした
 彼女の笑顔を見た瞬間、ぼくの人生はかけがえのないものに変わった
 会ったとたんに恋をした これからも
Why can't she see, how blind can she be
Someday she'll see that she was meant for me
 どうしてわからないのだろう、どんなに盲ているんだろう
 いつの日か彼女もわかってくれる、彼女がぼくにとってどんな意味を持つのかを
To know, know, know her is to love, love, love her
Just to see her smile, makes my life worthwhile
To know, know, know her is to love, love, love her
And I do
 彼女を知ったとたんに恋をした
 彼女の笑顔を見た時から、ぼくの人生はかけがえのないものに変わったんだ
 会ったとたんに恋をしたのさ これからもずっと、ずっと、ずっと…

HARUKI the Individualist

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 おとつい金曜日、村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発売された。渋谷区代官山の蔦屋書店では発売初日の深夜0時に新作を販売するイベントが行われたり*1、すでに予約だけで50万部超えとか*2、ネットで見る限りなかなかのお祭り騒ぎのようだ。もう早足の読書評さえ出ている。
 ラノベを彷彿とさせるタイトルは相変わらずの、と敢えて言ってしまうが、相変わらずの商売上手である。このタイトルに引きつけられて、村上春樹を読んだことがない若い本好きも興味を持ったのではないだろうか。その程度に新しい読者を想定した作品作りをしているのだ村上春樹は、そういう意味での「商売上手」である。
 今の10代20代の本好きに、村上春樹はどんな風にを見えているだろう。彼らが読書に親しんだ頃にはもう、村上春樹はメジャー作家のひとりだったろうし、ノーベル文学賞までゲットしようという大権威に見えるだろう。しかしわたしのような、80年代初頭の高校生時代、三つ上の先輩から「羊をめぐる冒険」を教えられたわたしのような人間にとって、村上春樹は今も、時流に合わないジャズアルバムを買い集めている頑固な個人主義者、というイメージが色褪せない。
 就職を拒んでジャズ喫茶を開き、どんな組織にも属さず、作家になってからも「文壇」に身を置かず、徹底して個人的な場所から文章を書き続けてきた村上春樹のような人間を、わたしはそれまで知らなかった。
 彼の個人主義がどれぐらい徹底しているか、エッセイ集「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」に収められている「文学全集っていったい何なんだろう」にその片鱗が記されている。
村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)

 昭和文学全集を出版するにあたり作品を掲載させてほしい、という依頼を受けた村上は、その作品(デビュー二作目の「1973年のピンボール」だったらしい)は全集に相応しくないので別の作品に差し替えてほしいと希望を出す。相手の編集者は「話は既に進行しているし、長さからいってもあの作品が妥当なので」というようなことを言う。それなら全集から外してくださいと申し出ると、実はもうパンフレットに『谷崎潤一郎から村上春樹まで』と刷ってある、今更変えられないんですと告げられる。ようするに、作者に確認ひとつとらないで掲載の話が進んでいた訳である。あれこれと思い彼はこう書く。「僕は決して偏屈狭量な人間ではないーと思っているーが、かりにも腕一本で飯を食っている人間だから、長距離鉄道貨物みたいな扱い方はされたくない。『パンフレットのことは、僕にはわからない。もし収録作品が差し替えられないなら、この話はお断りしたい』と言って電話を切った」。その後にも村上の元には翩翻するよう何度も連絡があり、当の編集者の元部下だったという別の出版社の編集者、たぶん村上春樹周辺の編集者なのだろう、そんな筋からも「ここはひとつ折れてはもらえまいか(=掲載を承諾してもらえないか)」と電話がある。それでも村上は理由を説明して断る。そしてついに文壇の大御所であり、村上の作家デビューを後押ししたともいえる作家の吉行淳之介から「ここはひとつ折れてはもらえまいか」というようなメッセージが届けられる。「実務サイドで問題の筋を煮詰めることなく、裏ルートで話をまわしてくるやり方は納得できなかった。だから『この問題には関わるまい』と決めて、あとは知らん顔をしていた。おかげで僕はただでさえ少ない人間関係のいくつかを、こじらせてしまうことになった」
 このエッセイの最後にはこう書かれている。

 ずっとあとになって、この全集を企画担当された方は(たぶん僕が電話で話した相手だと思う)、全集刊行途中で入水自殺されたと聞いた。刊行時の心労のためらしいと聞いている。もちろん人が死を選ぶ本当の理由なんて誰にもわからないが、その心労の何パーセントかは僕の作ったものかもしれない。そうだとしたら、本当に申し訳なかったと思っている。でももし今ここでそれに似た自体がもう一度起こったら、やはり僕はまた同じことをするだろう。
 ものを書く、ゼロから何かを生み出す、というのは所詮切った張ったの世界である。みんなににこにこといい顔をすることなんてできないし、心ならずも血が流れることだってある。その責は僕がきっちりと両肩に負って生きて行くしかない。

 あなたが同じ立場だったら、どうしただろう。わたしが村上春樹の立場だったらもう簡単に折れちゃって、掲載を許してるんじゃないだろうか。そういう対処をすることが、この世間での処世の一つと理解しているから。そしてもしわたしがこの編集者だったとしたら、自殺もせずおめおめと生きていることだろう。それもまた処世の結果だと時に悔やみながら。
 わたしのようなぼんやりとした村上春樹ファンから見ると、マスコミやネットに流れる、村上春樹への風当たりの強さに時に驚かされることがある。エルサレム賞の受賞スピーチ「卵と壁」に対する田中康夫の発言など、言いがかりにしか思えない(田中は同じ立場になった時、ちゃんとスピーチ出来るのだろうか)。また村上春樹村上春樹で、先の文学全集のようなエピソードを作品として公にしてしまう。入水自殺した編集者の身内がこのエッセイを読んだら、どんな気分になるだろうか、彼のいう論旨はともかくとして。このエッセイを発表したことで、わざわざ世間を狭めているとさえいえるだろう。名物編集者だった安原顕が村上春樹の生原稿を古本屋に売っていたことを、安原の死後に文藝春秋に発表した時もそうだった。「仮に事実がそうであれ、反論できない死者に鞭打つとは何事か」といった発言もあった。
 けれども、である。個々の作品の良し悪しを措いて、わたしが村上春樹に一定の、変わらない信頼を抱いているのは、その身勝手とも言われかねない徹底した「個人主義」だ。そういう覚悟から発せられる言葉=態度に、読者として、ぼんやりとしたファンとして、どう応えたらよいものやら……

*1:そのゲストに招かれているのが、村上春樹好きのお笑い芸人とかではなく批評家の福田和也というところが、人選を誤っていないのに何故か哀しい。氏の「日本人の目玉」「日本の家郷」なんかを愉しく読んだわたしとしては。

*2:土曜日に北見のコーチャンフォーに行ったらなんと! 品切れだったよ!

習慣化って凄い


 お早うございます。前日旭川から帰ってきたその疲れのせいで、昼近くまでずっと寝てしまった。珈琲でも飲もう……と思ってから、まだ体が思うように動きません。そのため更新が遅れたのですが、しかし習慣化ってちょっと凄いですね、ブログを更新しないことに罪悪感を感じている自分自身にいま驚いています。
 驚きといえば、先週のエントリーではてなブックマークが130もついたにのは本当に驚きました。1年間週1更新し続けたご褒美と思いましょう、ただの偶然ですが。はてな民としてはブクマ数が上がる度に盛り上がった訳ですが、残念なのはリアル友達の誰もはてなブックマークが何たるかを知らないので共有出来ない、ということですね、ええ。凄いんだかんなわりと。
 とまぁそういう訳で、今回のはてブには色々と思うところがありました。いずれそんなことも書ければと思います。ブクマしてくれた皆さんどうもありがとう。

一年経ちました

 去年の4月最初の日曜日にブログのタイトルを変え、その時に決めた「毎週日曜日にブログを更新し続ける」を守り切ることが出来た。一年更新し続けたご褒美に取りあえず来月から6月までは休もうかと思っているのだが、この期に及んでどうしようかと、まだ決められないでいます。どうでもいいことですね。取り敢えずありがとう、俺。やれば出来るじゃないか、俺。ではまた。

人生を「からっぽ」だ、と思っている人のために

考える生き方

考える生き方

「極東ブログ」「finalventの日記」でおなじみの…おなじみじゃないかしら、finalvent氏が著した「考える生き方」を読了した。久しぶりに読後感想を。
 この本を読んだfinalvent氏ファンにとって驚きだったのは、氏が結婚しており、しかも子どもが4人もいる(その内一番下の長女はテレビや舞台にも出る子役だという)ということだろう。何せブログには家族の話は書かれていなかったし、たまに自作料理のレシピなんか書かれていたせいで、独身だろうと思っていた。
 ネットの評判もほぼ好評で、特に「琥珀色の戯言」での読書感がその代表のような感じであるが、そんな中、麦飯に混ざった小石というか、山形浩生の罵倒が際立っている。読んでいる途中でこの感想を読むと、ファンとしてはかなり気分を害するのだが、読了すると、うん、そうだな、それはそうだ、という感触に実は落ち着く。
 確かにそうなのだ、この本は山形氏が書くとおり「己の平凡な人生をとつとつと変な諦念をこめて語る」「他人の、特に華やかではなくそれなりに挫折やトラブルはあるにしても、まあ普通の人生」を記した「歳寄りがよく、自費出版でだれも読まない自伝とか警世の書を出したりするが、まさにそんな感触」の本である。著者も書いているとおり「自分語り」の一冊、なので「極東ブログ」ファン以外の人は、面白く読めないだろう、今はきっと。
 この本は本文に入る前の「はじめに」が表紙になっているという装幀なのだが、そこにこういう“つかみ”の文がある。「自分の人生はなんだったんだろうとかと思うようになった。なんだったか?からっぽだった」。この一文がちょっとした「踏み絵」である。
 55歳になって自分の人生はからっぽだったと、振り返る。そうか虚しいのか人生虚しいんだな、と思って読んでいくと…うむ、20代で学問の道を閉ざされプログラマーとして社会人となり、思いがけず30代に10歳年下の女性と結婚……結婚? 第一子出産の際にはフリーランスということもあって妻の故郷沖縄へ移住、結局三男一女の父親になるも40代には多発性硬化症という「難病のなかでは患者が多い」病気を罹患、しかし家族に支えられてここまで生きて来た……いやあなた、全然からっぽじゃないよ、からっぽじゃないししかもドラマティックだよあなたの人生。本人だってこう書いている「結婚して家族がもてて幸せだったかと問われるなら、自分にはこれ以上の幸せはないと思う。この点は、本当に幸運だったと思う。もっというと、これが自分の人生の意味だったとして十分に満足のいくことだった」(130ページ)
 この本の感想の中で「普通の人が、普通に生きている姿」を読んでいるようで、そこが良いというのがわりと多いのだけど、この「普通の人」っていうのが、少なくとも僕の思う「普通の人」とは異なっている。僕の想像する「普通の人」であれば、家族について振り返り「これが自分の人生の意味だったとして十分に満足のいくことだった」と考えるのなら、人生がからっぽだとはきっと考えない。「普通の人」が人生の意味を思う時、その答えは家族、特に子どもの存在によって導かれるはずだから。誰にも読まれない「自分史」よりも、あなたの子どもの存在が、あなたが生きていきた証である。なので、ここでいう「からっぽ」というのは、失恋して辛いとか就職できなくて死にたいとかリア充死ねとか、情報商材で年商5億とか「いつかはゆかし」で老後も安心とか、人生の負け組勝ち組どちらの側の人間も等しく背負い込んでいる「からっぽ」な人生、ということだと思う。ほとんど色即是空である。
 瞬間瞬間の人生の局面で「人生は虚しい」と思うことは、誰でも少なくないだろうけど、それなりに幸せな家族を持ちながらも「人生はからっぽだ」と思うような人間は、まあ個人的には「普通の人」とはちょっと別だと思う。そういう“ちょっと別な人”のために、この本は書かれている。「普通の人」のように親ばかにも馴染めず、難病を前にしても宗教に走らず、野球その他の熱狂に忘我することもなく、淡々と考え、どうにか了解していく。55年の人生の中でfinalvent氏が遭遇した善きこと悪しきこと、その出来事とその受け止め方、考えの過程をとつとつと記したのが、この「考える生き方」という本である。
 その文体は好悪が別れると思うが、僕は面白く読んだ。これからもちょくちょく思い出して、読みなおすことがあるかも知れない。最後の方はちょっと息切れして、足早やすぎたように思うけど。
 伊藤聡さん、頑張って下さい。お気持ちはよくわかります。

言われなくってもメメント・モリ


 いつだったか、買っておいた本「孤独であるためのレッスン (NHKブックス)」をある人に見られて、笑われたことがあった。どうして笑われたのか正直わからないが、もしかしたら「お前それ以上孤独になってどうすんのよw」という笑いだったのかも知れない。
 まあ四十を超えて独身彼女なしなのだから、そう思われても仕方がない。そして「四十を超えて独身彼女なし」男の誰もが孤独な訳ではない、という事実を突きつけられると、もうぐうの音も出ない。けれども、そんなこと以上に自らの孤独に思い至らされるのはメメント・モリ、自らの死を思う時である。最近よく思うようになった。
 もしかするとある日のノーマン・ベーカーも、そんな思いに囚われたのかも知れない。イギリス運輸閣外相であるところのノーマン・ベーカー氏は55歳にして、自らボーカルを務めるバンド "The Reform Club" のデビュー・アルバム "Always Tomorrow" を発表した。

自由民主党Liberal Democrat)所属議員のベーカー閣外相は、ロックバンド「リフォーム・クラブ(Reform Club)」の作詞も手がけるリードボーカル
バンドは数十年前に結成した。これまで30年間、アルバムを制作するかどうか悩んできたが、「死ぬまでにやりたいことリスト」を作成したときに決意したという。「今制作に取り掛かったのは、やるべきだと思ったからだ。くたびれきってしまう前にね。あと10年もすればこうはいかないだろう」
 英国の「ロックンロール大臣」、55歳でアルバムデビュー 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 ベーカー氏もまた今のわたしのように「死を思え」と、いつか心に問いかけられたのかも知れない。そしてわたしもベーカー氏と同じように、頭の片隅にか、それともチラシに裏にでも、いつか「死ぬまでにやりたいことリスト」を手書きする日が来るかも知れない。その時書くリストの最初には、きっとあなたの名前があるだろう。
 じゃ、行ってきます。今日一日の幸運を祈ります。