日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

その日はカエルヤ珈琲店にいた


 札幌市中央区北1条西17丁目1の16、五階建ての北海道不動産会館のすぐ左どなりに、「カエルヤ珈琲店」はひっそりと佇んでいる。そのちいさな喫茶店の窓側には無表情な駐車場があり、そこから北1条宮の沢通りを横断すると、道立近代美術館の敷地である。年に一度、こうして道立近代美術館に来ていることになるのだが、特別展や常設展を見終わって、11時の開店にほど近い時刻に訪ねると、その日曜日の「カエルヤ珈琲店」にとってわたしは最初の客となっていた。やや細い店内の左手は窓に面したカウンター席、右手には小さなテーブル席がいくつか。連れのいない中年独身男(俺だ俺)は窓側の席に座り、ダイエットのことなど忘れてコーヒーとケーキのセットを注文する。窓の外では小雪が吹きこぼれている。
 注文を終えてひと息つくと、それまで時計どおりに動いていた時間がゆるみはじめる。こういう時間を、ここしばらく持てないでいたのに気がつく。昔のこと、長い時間を、それぞれ2時間程度だろうか、タワーレコード紀伊国屋書店を散策し、ほしかった本やCDの入れた紙袋を抱えて行きつけの喫茶店に入り、テーブルに水が置かれて珈琲を頼む、それからいそいそと戦利品の封を切る。ライナーノートを読んだり、短編小説を読みふけったり、あてどない思いにとらわれたり、そのちいさな、かけがえのない時間。
 コト、と珈琲とケーキが置かれて時空はカエルヤ珈琲店に還って来る。しっとりとしたケーキをもふもふと食べ、濃い目の珈琲を口にする。大都市の札幌であれば、こういう喫茶店はまだサバイブ出来るかも知れないけれど、その居場所はますます狭くなっているのだろう。こんな、店主の趣味嗜好、手ざわりを持った「喫茶店」という存在自体が、もう芸術作品の如く保護が必要なのだと思えてくる。CAFE RANBAN が未だ健在なのは、まったくありがたいことだけど。