日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

何か別の意図でもあるのか

 今朝ニュースサイトをチェックしていたら、自民党伊吹議員の発言が飛び込んできた。
http://mainichi.jp/select/news/20130210k0000m040045000c.html
http://www.47news.jp/CN/201302/CN2013020901001493.html

伊吹氏「体罰、全否定できず」 政治塾で答える
 伊吹文明衆院議長は9日、自民党岐阜県連主催の政治塾で、スポーツ指導や教育現場の体罰に関し「体罰を全く否定して教育なんかはできない。この頃は少しそんなことをやると、父親、母親が学校に怒鳴り込んでくるというが、父母がどの程度の愛情を子に持っているのか」と述べた。出席者の質問に答えた。
 伊吹氏は「何のために体罰を加えるのかという原点がしっかりしていない。立派な人になってほしいという愛情をもって体罰を加えているのか、判然としない人が多い」と指摘した。(47Newsより全文引用)

 この方は第一次安倍内閣の際には文部科学大臣だった議員なのだけど、どうしてそういう方がこういうノーガードな発言をしてしまうのかしらん。あまりに言うことを聞かない子どもに手が上がる、というのはよくあることだろうが、それは基本的に肯定される所業じゃないでしょう。肯定されないがやってしまいがち、そういうもんだと思うのだが。
 で、これは家庭での教育の話である。家庭でも肯定されない体罰が、公の場所たる学校内で全面肯定される訳もない。伊吹氏は「愛情をもって体罰を加えているのか、判然としない人が多い」というが、こういうのはそれこそストーカーと同じで、あれだって「愛情」による発露である。極端な例を出したが、それぐらい「愛情」なんて、その当人以外には伝わりづらいものだろう。そんな目に見えない「愛情」でもって体罰か暴力かを客観的に判断するなんて、出来る訳がないではないか。
 伊吹氏としては「おいおい、子どもに手があがっちゃうのまで否定されちゃ教育なんて無理だって」っていうボヤキなんだろうなと思います。まあ未婚で育児経験のない俺があまり言うのも気が引けてくるので、二児の父親でもあるやまもといちろう氏の体罰についての文章を紹介して終わりにします。これぐらい言葉を費やしてほしい問題だろうと思うのですが、どうでしょう。
 文章のどこか一部でも引用しようかと思いましたが、そうするとニュアンスが失われそうで、ぜひ全文を読んでください。いや本当に家族のことを書くやまもと氏の文章ははずれがない。
体罰と教育(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース