日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

「ぼんやり上手」はいいですね

 気がつくとRSSリーダーに「未読1,000+」とか表示されてる場合じゃない、久しぶりにgoogle readerをチェックしたらはてなid:ayakomiyamoto さんの「ぼんやり上手」が更新されているじゃないか。勿論サマリーで済ませる訳にはいかない。
「ぼんやり上手」はほんのりと文学の香気漂う読み心地の良いはてなダイアリーである。プロフィールに書き添えられた「もしもし?ワスだよワス」もそのイラストも愛くるしい。また少なからぬ人には連歌形式で綴られた幻想譚「勝間和代十夜」の開闢としても名高い。その業績を讚えるのに代えて全文転載する。第六夜も書かれているのでこちらもお勧めする。

第一夜


 こんな勝間和代を見た。

 散髪に行った帰り道、自分の前を勝間和代によく似た女が歩いている。

 こんな夕時の田舎町に勝間和代とは珍しい。自分は勝間和代には関心があるほうだったので、思い切って声をかけた。

「ちょいとお尋ねしますが、あなた、勝間さんじゃありませんか」

 振り向いた女は、ほほほ、と笑うだけで、質問に答えようとしない。けれどもその笑い顔がいかにも勝間和代にそっくりだったので、やっぱりそうだ、これは勝間和代だ、黙っていたって自分にはわかるぞ、と思った。方向も同じだったので、自然と女と一緒に歩くような形になった。

 しばらくは得意な気分で女の横を歩いていたが、そのうち、だんだんとじれったい気持ちになってきた。

「あなた、あれやってくださいよ、あれ。本当の勝間さんならご存知でしょう」

 それを聞くと女は立ち止まり、にっこりと笑って言った。ようござんす、ただし決まりがあります。わたしがそれをやったらあなたは必ずウィンウィンと応えなけりゃいけません。

 自分が承知すると、女は右の手の平を前に突き出し、おもむろにこう言った。

「断る力」

 こうなると嬉しくてたまらない。力いっぱい応える。「ウィンウィン」

「断る力」「ウィンウィン」「断る力」「ウィンウィン」「断る力」「ウィンウィン」

 そうやって女と歩いてるうちに日が沈み、また昇り、そして沈んだ。いいかげん疲れてきたが、女はやめてくれない。決まりは決まりなので自分が疲れたからといってやめるわけにはいかない。よその家のトケイソウのつぼみが開いて花が咲き、風に揺れたかと思うと、やがて実を落としてしぼんでいくのが見えた。どれだけ応え、歩いたことか分からない。膝がきしみ、腰が曲がって、自分がどんどん年寄りになっていく。それに引き換え女がどんどん若返っていくように見えるのが不思議だった。年寄りになった頭で、ひょっとしたらこれは勝間和代でないのかもしれないぞ、そう思ったところで、女がぴたりと立ち止まり、ここでようござんす、と言ってふっと姿を消した。見れば、ちょうど、自分が散髪した店先だった。

 一人取り残され、自分はついに気づきを得られなかったなあ、と悲しく思った。散髪に行ったのもすっかり無駄になってしまった。散髪屋の主人も死んで、自分を知った人間はもういないのだろう。

 今なおわたしは機嫌の良い時の飲み会の席で、右てのひらを広げ前に突き出し「断る力!」「断る力!」と言うのだがしかしもう誰も笑ってはくれない。如何に文春新書「断る力」の著者近影が往時の我々にとって決定的だったのか、偲ばずにはいられない。

断る力 (文春新書)

断る力 (文春新書)

 話が逸れたが「ぼんやり上手」である。この度はさる書店の物販用に看板や栞を自作されたとのことである。

 いちばん右端の栞に描かれているのは、本人の説明によると映画版ヱヴァンゲリオンの真希波・マリ・イラストリアスなのだという。わたしはとりたててこのキャラのファンではないので怒らないが、映画の次作は今年上映されるのだろうか。