日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

POP2*5からのお返事があって驚いた

 いやまさか「雑記」とはいえご本人からの回答があるとは思っていませんでした。当該記事はこちら。
 SF「Twitterの恐怖」 - POP2*5(ポップにーてんご)
 たかだかネット上のことでもこういうリアクションがあると面白いしドキドキしてしまいますね。いやはや本当に驚いた。


 どういう展開でこうなったのかは前回のエントリーをまず読んでもらうとして、次にわたし宛の回答を全文引用する。

 まず指摘しておくが、「別に怒って書いたわけじゃない」と何度も説明している。例えば、週刊誌編集者がみな、いちいち感情の荒ぶりを記事にしていると思ってるの? あまりにコドモな発想でしょう。事実や印象評を列記して感情的な誘導は謀ってるけど、している本人は至って平常心。書き手の本心がそのまま綴られたものではない、ああいった風情をブキミだと思っている世論を代表して書いてみました的な、ただの読み物にすぎない。だから、共感して「笑える」と書いている人もいるし、書き手のことも見ずにヒステリックな反応をするファンもいる、というふうに反応は人それぞれ。「感情的になって書かれたもの」と決めつけてかかる、あなたが鈴木ファンであって、ワタシがそうじゃないってことだけでしょう。どっちがバランスを欠いているというのか。


 以前はてブの指摘でも、「鈴木は番組に呼ばない人に冷たくされると言っていた」みたいなコメがあったけど、まわりが鈴木に嫉妬してるみたいな狂信的な視点からどうして一歩も動けないのか? どこ読んで、このエントリから「同族嫌悪」と連想するのかまったく不思議。ファンの言うことはわからん。だから救えないと思うし、「鈴木の言動、すべて許すという人とは対話にならない」と何度も書いている。


 ブログの尺がどうとか、本筋とは関係ない「ねば論」を押しつけているのは、どうみても信者のほうだし、苦笑いする余裕もなく「感情的」になってるのも、これまた信者のほう。批評を封じ込もうという思惑の先には何があるの? なにか実益的な損失? バカバカしい。


(追記)


 「同族嫌悪」と書かれて、心当たりを思い出してみたけど、ラジオ好きのくだりかな? たかだかギャラクシー賞とったぐらいで、黒幕や鈴木が「日本一のラジオ番組」と吹聴してるのを疎ましく思うと書いたけれど、あれを「嫉妬してる」と誤読されても……(笑)。「歴史軽視の酷さ」を言う前に、みっともない発言っていうだけ。伊集院光ギャラクシー賞取ったときの揶揄コメント聞いてみな。あれこそが「ラジオの精神」。もちろん泣くわきゃない(笑)。自分ところの社長の女性スキャンダルまでネタに取り上げるTBSラジオ(テレビとは別会社)って、ラジオ界でも独自な気風があるんだから。編成局のほうがよほどシニカルだよ。


 人格として考えるなら、ワタシはそもそも群れるタイプではないので、ああいう座談に加わる輩に憧れる性分ではない。Twitterを半分ばかばかしく思ってるのも、同じ理由。Twitterユーザー間で「キミは体格がいいから番長で、キミは博士くんかな」みたいなままごとやってるように見えるのを、アホらしく思ってしまう世代なので。無論、言うは易しと思って、せっかく都議会議員選もあるから先週ぐらいにTwitterに入ってみたものの、政治座談の酷さたるや……。実際に今、なにかがここから生まれてないってことは、これからも生まれないってことだとワタシは思う。つか、楽することばっか考えずに、ブログやんなよ。


 「Lifeは鈴木謙介にとってのビルドゥングス・ロマン」みたいなアホなこと書いてないで、『Life』がいい番組っていうのなら、メディア・トレーニングさせるなり、司会者を変えるなりすればいいだけの話。「ありのままのボクを受け止めて」なんてのはガキ過ぎて、師匠批判、学会批判する人の台詞じゃない。いっそ番組名を「鈴木謙介ファンクラブ」にすれば誤解もなかろうに。まあ、本人たちがそれわかっててやらないんだから始末に負えないというか、ファンがそれさえ察することなく擁護してる構図が痛々しい。「可愛いから」「欠陥があるから信奉できる」なんて話、オウムのときに散々聞いたからもうたくさん。


 とりあえずわたしが前回のエントリーで伝えたかったことは実に単純で「もっと短くていいんじゃない?」というだけである。それは今も変っていない。
 それでは、とりあえず、と言った感じで、思ったことを書いていく。回答になっていれば幸いです。


 返答の一段目からの引用。

例えば、週刊誌編集者がみな、いちいち感情の荒ぶりを記事にしていると思ってるの? あまりにコドモな発想でしょう。事実や印象評を列記して感情的な誘導は謀ってるけど、している本人は至って平常心。書き手の本心がそのまま綴られたものではない、ああいった風情をブキミだと思っている世論を代表して書いてみました的な、ただの読み物にすぎない。

 わたしは物書きでも編集者でもない中年男なので、あの長文を書いたあなたに「ああいった風情をブキミだと思っている世論を代表して」という発想があることに、まったく気づけませんでした。
 その訳は単純に、あなたとわたしの現実的な立場の違いから来るものかも知れません。それにわたしは、未だかつて「世論を代表して」なんて大それた気持ちをもって、自分のブログの文章を書いたことなどないですし。ただあなたの文章が「世論を代表して」という大それたレベルのものだとも正直思えませんでした。
 で、同じ一段目の「事実や印象評を列記して感情的な誘導は謀ってるけど」という部分で思うのは、「世論を代表して」と書ける人は「誘導」とか「謀って」という単語を使える程度には、自分のブログの文章を書いている、ということです。こう書くとほんと馬鹿っぽいな俺。でもすごいな。到底そんな大それた単語使うほどの意識はない、こちらには。
 続けてあなたは「している本人は至って平常心。書き手の本心がそのまま綴られたものではない」と書いています。
 そうして、そんな「平常心」のあなたが書いた「本心がそのまま綴られたものではない」文章を読んだわたしは、その感想のタイトルに「この方は何をそう怒っているのだろう」とつけました。そう、あなたは“怒っている”と思って。
 あなたの文章を引用します。

だから、共感して「笑える」と書いている人もいるし、書き手のことも見ずにヒステリックな反応をするファンもいる、というふうに反応は人それぞれ。「感情的になって書かれたもの」と決めつけてかかる、あなたが鈴木ファンであって、ワタシがそうじゃないってことだけでしょう。どっちがバランスを欠いているというのか。

 あなたはここで“共感する人もいるし、ヒステリックな反応をするファンもいる”とおおまかに二分して、それに対して「反応は人それぞれ」と鷹揚な態度を見せていらっしゃいます。なのに、何故わたしの文章に対しては「『感情的になって書かれたもの』と決めつけてかかる」からと、鷹揚な態度をやめてしまったのでしょう。それこそ、わたしの文章も含めて「反応は人それぞれ」なんじゃないんですか? わたしの文章の何が他の方と違ったのでしょう。

(追記)あああなたはわたしの文章を「ヒステリックな反応をするファン」の側に置いてるんですね、たぶん。だとすれば、先に書いた文章は誤りですね。線を引いておきます。

 そこで、あなたがわざわざ「」で括っているので、わたしが実際に「感情的になって書かれたもの」という一文を書いているのかと思って探したのですが、ないんですよね。
 たぶんあなたは、わたしの書いた「印象論をただの印象論と思わせないよう論理武装している内に冷静さを欠いてしまったというか」という一文の太字の部分を受けて、自分の文章を「感情的になって書かれたもの」と決めつけられた、と思ったのでしょうね。
「冷静さを欠いてしまった」
「『感情的になって書かれたもの』と決めつけてかかる」
 見比べると、読み手の受ける印象はかなり違ってきますね。この「印象論をただの印象論と思わせないよう論理武装している内に冷静さを欠いてしまったというか」という文章は「『感情的になって書かれたもの』と決めつけてかかる」って程のものですかね? 「決めつけてかかかる」というほど、攻撃的なニュアンスはないと思いますが。


 あなたの回答に答えるための文章のボリュームが、こちらが抱いている感情より増えてしまうのが何ともいえず厄介なのですが、あなたはその文章量については、こんな回答をしてくれました。

 ブログの尺がどうとか、本筋とは関係ない「ねば論」を押しつけているのは、どうみても信者のほうだし、苦笑いする余裕もなく「感情的」になってるのも、これまた信者のほう。批評を封じ込もうという思惑の先には何があるの? なにか実益的な損失? バカバカしい。

 えー、その信者とやらの文章までチェックしていないんですが、っていうかわたしに対して「俺の文章が長いとかねば論とか言ってるけど、信者の方がそうじゃねえか」って返答されても、困ります。それ、わたしの文章と関係ない話じゃないですか。「信者が長文書いてんだから、俺だけ長文で責められるのおかしいじゃないか?」ということでしょうか?
 わたしの文章もまた、あなたのいう「信者」の文章に読み取れたのでしょうか。どこがそう読み取れるのか、わたしにはわかりません。わたしは確かにLIFEのファンだとは宣言していますが、ことさら鈴木謙介を褒め称えてはいないと思います。あのエントリーがあなたにはそう読める、というのなら敢えて書きます。それはあなたの誤読です。
 わたしは単にLIFEという番組が好きで、あの番組を(わたしにとっては)面白いと思わせている大きな要因が鈴木謙介だ、と思っているだけです。鈴木謙介の挙動に対してあなたはイラつくけど、わたしはイラつかない、ただそれだけのことです。「アレにいらつかないのはおかしい、だからお前もファンだ」というのなら、それをいちいちどうこうする気はありませんが、十把ひとからげにわたしを「信者」にされても、という気持ちは起こります。
 もちろんわたしはあなたに対して、誰に対してもあの文章によって「批評を封じ込もうという思惑」なんてびた一文持っていないです。そう読めます? 読めないと思うんだけどなー。それとちなみに「例えば、週刊誌編集者がみな、いちいち感情の荒ぶりを記事にしていると思ってるの?」と言われましたが、別にそうは思ってないです(笑)。それもまた別の話でしょう。


「同族嫌悪」の件について書いておきますね。
 わたしが「同族嫌悪」と書いたのは、この一文です。「一読して、鈴木謙介に対して同族嫌悪を抱いているのではないか、とも思った」
 真面目に読んでいただいたようで恐縮します。これこそ“印象論”で、というか“印象”でしかないので、返答を長々と書いてくれて、正直非常に申し訳なく思っております。
 わたしが何故そう思ったか、というのをあらためて書いてみると、こうなります。
「何をこの人はたかだか『鈴木謙介、キモい』というだけのつぶやきをここまで長々と書くのだろう? もしかしたら、鈴木謙介の挙動その他に自らの恥部をさらけ出されたかの如き苛立ちを抱いているのではないか」
 もう本当に、ただこれだけの“印象”です。だから一文だけしか書いてないじゃん。何もそこまで過剰反応しなくても(と、わたしには感じられました)。
 もしかしたら、先の一文はこう書き直したら良いでしょうかね。「一読して、鈴木謙介に対して同族嫌悪を抱いているのではないか、とも思った。でもそれは、誤りだったようだ」。
 わからないのは、その後に来るあなたの文章「たかだかギャラクシー賞とったぐらいで、黒幕や鈴木が『日本一のラジオ番組』と吹聴してるのを疎ましく思うと書いたけれど、あれを「嫉妬してる」と誤読されても……(笑)」の太字の部分。
 これ、わたしのことじゃないですよね? 嫉妬してるなんて書いていないし、思ってないですよ。
 「同族嫌悪」のことについて書き出しているのだから、その後の文章もわたしに対してのものだと思いますよね、普通。でもわたしはあなたに対して「嫉妬してる」だなんてひとことも書いていないですよ。それこそ「」で括られたら、わたしが書いたみたいに読まれるじゃないですか。これ、他の方のコメントなり感想ですよね?


これで最後でしょうか。あなたの文章を引用します。

「Lifeは鈴木謙介にとってのビルドゥングス・ロマン」みたいなアホなこと書いてないで、『Life』がいい番組っていうのなら、メディア・トレーニングさせるなり、司会者を変えるなりすればいいだけの話。

 この文章はわたしのエントリーの最後の一文「ただ、時々思うことがある。『Life』という番組は、チャーリーの成長物語、ビルディング・ロマンスなんじゃないかと」にふれたものですね。
「アホなこと」っていきなり「感情的な誘導は謀って」書かれると、やはり面白くはないですが、一応「Life」リスナーとしてこの一文の趣旨を書かせていただくと…
 鈴木謙介の見せる、香ばしいというか痛々しいというか、そういう部分が放送や、特に外伝なんかでわりと明白になったりする訳ですね(鈴木アミとか女性陣出演の際に多い気がする)。その点がわたしには“知識あるのに経験が追いつかない、しかもそのことをわかっていても直すこともままならず、しゃべる度に自意識過剰のループに陥る後輩”って感じでかなり面白いんですが。またそういう態度に柳瀬氏あたりは(あなたにはちゃんちゃらおかしいのかも知れないけれど)“訓を垂れる”(笑)発言が出る訳です。そのやりとりが面白いと、わたしなんかは思うんですね。
 別にあなたに向かって「その面白さをわからないのはおかしい」と言うつもりはありません。ただ、それこそ鈴木謙介がこの「Life」を通じて変っていく様そのものが、この番組の肝なんじゃないのか、という意味で“ビルディング・ロマンス”と評したのですよ。そして若いリスナーは、そんな“痛い”鈴木謙介に自らの思いを仮託しているのじゃないかな、と。


 そういえば、そもそもわたしが書いた先のエントリーって、感情的な文章になってますかね? そう読めちゃいますかね? それこそ書いた自分としては「平常心」だったんですが、そのわりに分量がやや多かったかな? とは思いますが(笑)。
 まるであなたは、あのエントリーによって“世界”と闘っているようですね。*1 *2 *3

*1:この文章を書いたあと、スネークフィンガー氏の当該エントリー前後のものも軽く目を通したんだけど、この方が最近のtwitter周辺の“空気”に対しての違和感とか、もしかしたらtwitterを良しとする同調圧力を感じとっていたようです。そこいらへんは、それこそ編集といった“先端”にふれる仕事環境に身を置いているからこその反応、という気がします。大体twitterはおろか、ブログをだってよくわかってないですよ、わたしの住むような北海道の片田舎の人には………話題はそれますが、いくら何でも「美人猿」はないでしょ。ないよ(笑)。

*2:追記:この文章、また前回のエントリーを読んでいるスネークフィンガー氏以外の方へ。もしわたしの文章に至らない点が感じられたなら、教えていただけると嬉しいです。これからの文章を書く際の参考にします(もちろんスネークフィンガー氏が書くのも全然結構なんですが、この件について当事者ではない方の意見が聞きたい、という意味です)。

*3:さらに追記:もう一度、回答の「同族嫌悪」の部分を読んだのだけど(いや勉強になる体験だ)、やっぱりそもそもわたし宛に書こうとした文章ではないんだろうなぁ。わたしを含めた「信者」宛てなんだねえ、たぶん元々。すごいね…