日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

知っていること・知らなかったこと

 また、亡くなられていた。女流マンガ家のやまだ紫である。先月5日というから、つい最近の話である。

やまだ紫(白取三津子)は本日
午前4時16分、永眠しました。


最後は顔のむくみも取れ、綺麗な顔で安らかに眠るように静かに逝きました。


最後までご心配をいただいた皆様に御礼申し上げます。
葬儀は近しい親族だけの密葬にて済ませ、東京の実家のお墓に納骨されます。


素晴らしい才能を持つ漫画家いや作家であり、素晴らしい母であり、そして何より素晴らしい人間でした。一緒に居られたことを心から、魂から感謝しています。


皆さん、本当にありがとうございました。


夫 白取千夏雄


白取千夏雄「白取特急検車場」より)

 こちらも忌野清志郎同様、特別ファンだった訳ではない。「教養」として彼女の名前を知っていた、というだけである。それにしても世界では、俺の知らない内に、俺の知っている人が亡くなられていく。ショック、というのではないのだが。


 統計的に見れば、今日も夥しい人が失われて、夥しい人が生まれている。その差し引きで損得勘定が出来るのは新聞やニュースだけの話で、失われたひとりを生まれてきた新しい命と差し引き勘定なんか出来ない。-1+1は0にならないのが、僕たちの手ざわりのある日常のはずである。


 知らない内に亡くなった人は、その死を知らされるまで俺にとっては生きているのと変わらない。そう考えるとちょっと不思議だ。知っている事と知らない事には中間というものがない。知った途端に俺は、知らなかった自分からずいぶんと遠ざけられるような気がする。居眠りした内に乗り損なったバスの後ろ姿を見ていた俺が、立ちすくむ俺自身をバスの中から見下ろしているような。
 知るというのはいつも「後からやって来る」と言っていたのは誰だったろう。