日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

女性を抑圧する無責任言語としての「食育」

こすいのほとり : 西原理恵子氏の「食育なんて女をばかにしてる言葉」発言について思う。
いや別にケンカ売ってる訳ではないので落ち着いて下さいね。さっき「はてなブックマーク」で見つけたてチェックしてただけなんで。
出来る範囲でやるっていう事ですよね(違うか、微妙に)。でも取捨選択することから自ずと大切なものが見えてくる訳だし。違いますかね。
暮らしのロールモデルが見えないので*1、ネットなりマスコミなりの言葉がどうしても強制的なものとして響くのが昨今なのだけど、西原氏の発言の要旨は、引用したサイトの最後にちゃんと書いてある。

西原氏が攻撃したのは、食育そのものではなく、安全圏から局所的な正論を放つことで、現場の母親達を追い詰める無責任な「男」の性根なのだと思います。

という事です。*2真面目な人ほど自分を責めやすいので、お気をつけて下さい。

*1:しがらみのない社会であればあるほど見えなくなっている暮らしのかたち。でも、だからといって、昔ながらのしがらみが必要って訳じゃない。必要なのは新しい「しがらみ」で、それは意識の問題なのだ。我々の存在は有限であり、我々が無数の可能性から選べるのは一つでしかない。

*2:…などと引用することで事足れりとする俺の根性もどうかしている、と今きづいた。