日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

与太話の行方

話の出所はこちらである。
高校生は、音楽CDのことをなんと呼ぶか?:小鳥ピヨピヨ

問題:


最近の高校生は、音楽CDのことをなんて呼んでるでしょうか?
 

答えは……


「マスター」だそうです。
つまりこういうことです。例えば、クラスで誰かが、
「おーい、浜崎の新しいアルバムのマスターゲトったぜ」
と言います。そしてクラスの子全員に回覧して貸します。
CDを受け取った子は、iTunesか何かにそのアルバムを取り込んで、次の人に回します。
回覧が終了したら、そのCDはポイ。
もうパソコンに取り込んだから、不要なのです。


音楽の売り上げが落ちてる理由って、ネットじゃなくて、CDが原因なのかもしれないですね。

そもそもはこちら【EX-SPECTATOR】by 冨田明宏の方から出た話みたいなんですが。


まあ、きっと“よくある話”なんだろう。ありそうだ。実際そうかも知れない。
でも「音楽の売り上げが落ちてる理由って、ネットじゃなくて、CDが原因なのかもしれないですね」って違うと思う。
じゃあ、この文章の「CD」の部分を「ネット」と入れ替えたら、売上状況は変るのか? 変る、とは全然思えない。どうでしょう?


例えばここで上げられているCDが「浜崎=浜崎あゆみ」である点が、どうなのだ、と。いかにもありそうな話なのだけどこの話は「浜崎」でないと成り立たない。例えばだ、
「おーい、ムーンライダーズの久々の新譜のマスターゲトったぜ」…ほら、話が続かないじゃないか。そもそも声かけないよクラスの奴に。
浜崎のような「みんなが聴いている、と思われている」アーティストであれば、クラスのメンバーから外れないためにも「とりあえず持っていたい」と思うだろう。だから「クラスの全員に回覧して貸します」。
で「CDを受け取った子は、iTunesか何かにそのアルバムを取り込んで、次の人に回します」と続くのだがその行為のどこが悪いというのか? ラストの決め台詞と考え合わせれば、まるでこの私的な楽しみ自体が「音楽の売り上げが落ちている理由」みたいに捕らえられるではないか。
じゃあ、この浜崎のCDがガチガチのプロテクトをかけたものなら、ここで回覧したクラスの子が浜崎のCDを買うだろうか? 買わないと思う。そもそもみんなが回覧してパソコンに取り込んだのは、身銭を切らずに手に入るからだ。


この会話で問題なのはここである。
音楽の売り上げを落としている大きな原因は

回覧が終了したら、そのCDはポイ。
もうパソコンに取り込んだから、不要なのです。

どうやってその身銭を切って買ったCDをポイ出来るのか。少なくとも、自分が愛してやまないアーティストで、身銭切って買った物を(そもそもCDだどうだという話の前に)簡単にポイするのだろうか。そんなことするぐらいならそのアルバムをレンタルで借りればいいではないか。



こんな時期にこういう話が高いエントリーをたたき出してしまうのは、何となく変な世論形成してしまいそうで、恐いよ。