日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

この人たちを「殺し」てはいけない

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/2b52045c9b670823aff1586f29b4d097
音楽配信メモ MIAUの後見人問題と池田信夫氏のブログ、今後について
http://blogmag.ascii.jp/kodera/2008/09/07090400.html

僕自身はなぜMIAUをやっているのかといえば、ここ数年のインターネットを巡る動きの中で「利用者目線の団体が必要だ」という意識と意見が数多く出てきても、結局誰も主体的にはそのような団体を作ろうとしなかったからです。金も力もコネも持ってて、僕らよりうまくそういう団体作れる人はいるだろうけど、でもそういう人はやっぱり作らないので、しょうがないから作るかということが最初のモチベーションになってます。
音楽配信メモMIAUの後見人問題と池田信夫氏のブログ、今後について」より引用)

今後我々としては、池田先生と公文先生の両方から距離を置いて、我々に求められている本来の仕事を頑張っていく。それ以外にも、我々に黒とか赤とかのペンキをぶっかけようとしている人がいる。おそらく我々が無給・無償でこんなことをやっているということが、理解できないのだろう。

また外側から我々を巻き込んで、利用してやろうとする人もいる。こういう人こそ、心底MIAUをどうでもいいと思っている人である。いやそんな買いかぶられても困るっすよ。我々は色を投げつけられても時間をかけてはじいていくような、無色透明な強化ガラスでありたいと思う。
(コデラノブログ3「ゼロと透明を証明する話」より引用)

誰もが「こうだったらいいのに」「こうあるべきだ」と思いながら、結局行動という目に見える形にしないまま今日を何とか生き永らえている。そういう諦観の苦い実を口にした者ならば、自分が出来ない、出来なかった行動を始めた人間に対していくらかの敬意を持つのは、大人なら何も特別ではない自然な感情だろう。そういった敬意を、俺は津田大介氏、小寺信良氏に対して持っている。だから、上に引用した文章を読んで、俺も津田氏が抱え込まされただろう怒りや悲しみを、今ほんの少しだけ共有している。
RSSを張っているぐらいで、目に見えるような直接的・具体的な行動などMIAUに対して行ってはいない俺だが、ただ彼らに対して「頑張ってくれな!」という気持ち(こうして書くほどのことではない)を持っている人間としてここで言えるのは「こういうことで彼らを『殺す』ようなことは控えてほしい」という天にも祈るような気持ちの表明ぐらいである。
はてぶのコメントにわざわざ返信している津田氏の怒りや悲しみ、徒労感を、考え方が異なる者であっても自らの内に受け止める程度のことが出来ないのなら、彼女のように啖呵を切らなくてはならない。「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ孤独に暮らせ。それも嫌なら…」