日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

愛しの“演劇部少女”へ

「hirofmixさんって、どんな女性がタイプなんですか?」
 …あんまりないんだよね。俺は「姉属性*1だから、その意味で言うと田中美佐子なんてかなり俺の姉のイメージぴったりなんだけど。でも最近まで彼女の名前うろ覚えだったしな。
姉属性ですかぁ。じゃああたしは年下だから無理ですねー」
 いや最近はほら、こっちの年齢が年齢だからさ、この年で年上っていうのもなかなかねぇ…いや真矢みきとかそれこそ田中美佐子とか、40代年上でも素敵な人はいるけどさ。この際、この際っていうのもなんだけど、年齢関係なく“姉っぽい性格”ならいいんですけどね、かなり。
「…でも本当は、こういう女の子が好きなんでしょ?」

この、アニメのキャラクターがそのまま実体化したように美しい彼女の名前は森乃樹梨亜という。何でも"Law15"という<目標に向かってがんばっている女の子たちをサポートし、表現の場を提供するプロジェクト>を運営している女子大生にして社長だそうである。ご本人も<目標に向かってがんばっている女の子>の一人でもある。
この写真を「*http://blog.livedoor.jp/akibabot/archives/50745353.htmlで見たその時、おれは何年ぶりか何十年ぶりだかの“一目惚れ”をしてしまったことを、ここで正直に告白しよう。この瞬間フォーリン・ラブなアングルでその魅力を切り取ったカメラマンには私から平成十九年木村伊兵衛写真賞を差し上げたいぐらいである。嗚呼こんな素敵な子はどこにもいない。


私は“演劇部少女”と呼んでいる。
ある種の、こういった少女の事を、私は“演劇部少女”と呼んでいる。
この、森乃嬢のような独自性の高い可愛らしさ、もしくは"Law15"のトップページを飾っている女の子達に共通する、一瞬“ひぃっ”と息を引くような可愛らしさ。
「芸術のためなら裸も厭わない」という、実は男性側からの直接的な欲望を納得させるための詐術を鵜呑みして、自らもそう信じ込もうとしている痛々しさから匂い立つ、その可愛らしさ。
美の境界線上をつま先立ちして歩くような、ぎりぎりの、はっきりいって或る微妙な可愛らしさ*2を持つ彼女達を、わたしは“演劇部少女”と呼んでいる。
既に三十年近く前の体験から生まれた妄想言語なので、いま現在の女子演劇部員のイメージとは食い違うところも多々あるだろう。もしかしたら今なら“不思議ちゃん”と呼べるのかも知れないが、そのどちらかといえばおっとりしたイメージに、例えば“ナゴムギャル”とか“おだんご少女”といった八十年代サブカルチャー用語も包括させてもまだ足りない。*3


たぶん、私がそんな彼女たち“演劇部少女”から嗅ぎ取っているのは、彼女たちが持ってしまった「あてどない自意識」なのだと思う。
そのはちきれそうな自意識にそそのかされ、独特の表情と行動を作り上げた彼女たちを、わたしはどうしても嫌いになれない。
この微妙にアンヴィバレントな感情は、その根底にナルシシズムがあるからだろう。彼女達が表出してしまう痛さは、私に無縁のものではない。それは私に近しいものである。*4


だから何なんだ、と言われても答えようがない。
ただ私はそんな“演劇部少女”が好きだというだけだ。そしてこれからも嫌いになんかなれはしない、という宣言である。
であるから森乃嬢よ、寒空の秋葉原の路上に立ち、オタク達の視線を十分意識した上で、自らの自意識をも満足させたその奇妙な爽快感を今日もまた糧として、今後とも“演劇部少女”として活躍していただきたい。本当に君は素晴らしい。ご飯三杯はいける。


何だかずいぶんと、嫌なヤツである。私は。
「そんなこと、ないわよ」

*1:ちなみに姉の名前は夏絵という。このヒロクロにも何度か登場しているはずであるが、折り畳み式でいつでも呼び出せる素敵な「姉」である。

*2:当該リンクページの他の写真を見ていただきたい。私の言わんとしていることがわかるだろう

*3:ざっくり有体にいうと「教室で一人ぐらいはいる、国語の教科書を朗読する際、故知らずやおら感情を込めて読んでしまう少女」だとは言える。ああでも本当はそんなことじゃあないんだ。

*4:私を知る人なら、私が若い頃に斉藤由貴小川範子にうつつを抜かしていたのはよくご存知の事だろうが、その二人の共通点はやはりこの“演劇部少女”なのだ。