日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

この世をふかく、ゆたかに生きたい

今年度の小林秀雄賞は荒川洋治(詩人)の「文芸時評という感想」が受賞した。選考評は新潮社の季刊誌「考える人」に掲載される。評者は加藤典洋関川夏央堀江敏幸養老孟司である。わりと信頼のおけるメンバーな気がするが、ちなみにここまで登場した方で氏名を一発で変換出来たのは関川夏央だけである。文字変換で人の有名無名がわかるのは面白い。
「この世をふかく、ゆたかに生きたい。そんな望みをもつ人になりかわって、才覚に恵まれた人が鮮やかな文や鋭い言葉を駆使して、ほんとうの現実を開示してみせる。それが文学のはたらきである」
詩人の書く散文というのは、やはりその職業ゆえか、独特な言葉づかいで読む側の急所をぎゅっとつかまえる。
昔々、敬愛する劇作家の別役實先生(ちなみに、デイリーポータルZでつとに評判の“べつやくれい”は氏の愛娘である)が北大で講演した折り、その頃世間を騒がせていた宮崎勤(一発で変換)事件にふれて「彼(=宮崎)は現実でもなく非現実でもない、いわば亜現実を生きていたと云えるのではないでしょうか」と発言して、その亜現実という言葉を持ち出した言語感覚にかなりしびれてしまった。その一語でもって状況を鮮やかに切り取るセンスは詩人のそれと同じである。そして、不定形な事象に言葉と云う形を与えるのは批評家の必要条件でもある。実に詩人と批評家は“ある言葉”をたったひとつ選び出す才において同質である。