日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

JR水道橋駅そば "NewYoker's Cafe" の一席で、朝10時18分

朝9時50分頃入店した時はまだまばらだったお客も、10時を越えると大体席を埋めはじめた。くもり空の、秋の東京。
昨日までの疲れが取れたせいで、孤独な気分は薄れた。被害妄想的な違和感もなくなり、東京のくもり空が、やさしい。
今日は東京駅から銀座を歩くつもり。銀座伊東屋とカフェ・ド・ランブル探訪が目的。

それでも、やはり、ここが日本の中心だ。物と情報が産み出される、その基盤となっている街。
けれども物は物のために生産され、情報は情報のために発信される。そこに住まう人々のためではなく、ウロボロスの蛇のように自己循環して、新たな差別化を繰り返す物と情報。すでに東京は、土地である事を止めて、電子空間のような情報として存在しているのかも知れない。
それでも水道橋で見かけたスズキ自動車のショールームの、ちいささ、わびしさ、卑小さ。その情けない風景の中にしか、東京での生活はないのかも知れない。
(最近はじめた走り書きのメモより)

ではでは