日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

最近気になっている片岡

村上春樹の洗礼を受けた後では、片岡義男など読めなかった。高校二年の時に読んだ「風の歌を聴け」の“カッコよさ”ったらなかった。「1973年のピンボール」を読んだ後には、北見市内のしけたデパートでピンボールをやっていた。その頃の片岡義男といえば角川映画の「スローなブギにしてくれ」で角川文庫の「味噌汁は朝のブルース」という訳で、早川義夫じゃないが“かっこいいことはなんてかっこわるいんだろう”という感じで読みもしなかった。
今でもあまり片岡義男の小説は読む気持ちになれないのだが(三つ子の魂百までという)、最近になって気がつくと読んでいるエッセイがある。片岡義男の「日本語の外へ」(筑摩書房)(ASIN:4480816003)である。相当ぶ厚い本なので図書館あたりで読むとよろしい。私も職場で買った本を何度となく借り出してはぽこぽこと読んでいる。
湾岸戦争当時の話からはじまるこのエッセイは、言葉の正しい意味においてエッセイ(=試論)といえる。その中で軸となるのは、英語と日本語の構造の比較、その相違から生まれた日本と英語圏の人々の人生観、世界観の違いだ。その比較は、戦後民主主義から現代までの日本社会を、その衰えた肌のしわ一本一本を残酷なまでに記載している。正直に言えば、まさかあの「スローなブギにしてくれ」の作家がこんなに「思考」という言葉があてはまる内容の文章を書き得るのかと驚いてしまった。